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序章
「お前か、俺の婚約者だとかいう女は――」
広いダイニングに響く、冷たく、低い声。その声の主は、目を丸くさせて驚いた表情を浮かべている少女を鋭い瞳で睨みつけていた。
静かな怒りが込められたそんな声を聞けば、彼女が彼に歓迎されていないということは一目瞭然。その場には重苦しい空気が広がっていく。
怒りをぶつけられている少女―― 藤島 伽耶は、しばらく言葉を失っていたが、すぐにスッと椅子から立ち上がり、姿勢正しくお辞儀をする。
「初めまして、婚約者の藤島伽耶と申します」
とても美しく、洗練されている所作を見れば、彼女が国内トップ企業の令嬢だということも納得がいく。
手入れが行き届いた、艶のある長い黒髪。ぱっちりとした丸い瞳は髪よりも少し色素の薄い灰色で、真っ直ぐ通った鼻筋に、ぷっくりとした血色の良い唇。「可愛い」よりも「美人」に分類される整った顔立ちは、「大和撫子」という言葉がぴったり合う。
口元には笑みを添えて、にこやかに、はっきりと「婚約者の」と自己紹介をした伽耶。そんな彼女の言葉に目の前の男――西園寺 要の顔は不機嫌そうに歪められた。
「……俺は認めてないぞ、そんなもの。所詮は、親が勝手に決めた結婚だ」
熱を失ったその声には敵意しかなく、氷のように冷たい瞳が向けられるだけ。
セピア色の絹のようになめらかな短髪に、切れ長の瞳、高い鼻、そして薄く形の良い唇。美しい顔立ちの男が怒ると、余計にその凄みが際立つ。
「……でも、私はあなたと結婚するつもりでここへ来ました。たとえ、親が勝手に決めたものであろうと、認めてもらわなくては困ります」
垂れ目がちな瞳の奥には、はっきりとした強い意志が見てとれた。それが余計に要の怒りを助長させ、奥歯を噛み締めた彼は、半開きだった扉をダンッと強く叩きつけた。凶暴な怒気をはらんだ瞳に、伽耶の体がびくりと揺れる。
「俺はお前と婚約する気もなければ、結婚する気もない。……絶対に、だ」
やさしさの欠片もないその声に、伽耶の顔は一瞬、歪められた。向けられた強烈な嫌悪感。それを一心に浴びて、心は暗く曇ってゆく。
「話は以上だ」
そう言い残し、部屋を出ていく要。目の前から去っていく彼の背中は、伽耶に両親の姿を思い出させた。
――やっぱりこの人もそうなのね。
ひそかに抱いていた淡い期待は、がらがらと音を立てて崩れ去っていき、伽耶の胸の中にはただ虚しさだけが残る。
自分の居場所など、どこにもない。
突きつけられた現実は、どこへ行っても変わらなかった。
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