ヒーロー

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 夜の病室は静かだ。パイプ椅子に腰かける。耳を澄ませると、微かな寝息と冷蔵庫の音が聞こえた。ベッドに横たわる彼に視線を落とす。命があって良かったね。まったく、力も無いのに正義感は人一倍かい。志は立派だがせめて体を鍛えるくらいはしたまえ。そっと頭を撫でる。まだ十四歳。同年代と比べても一際小柄だ。髪もどこか細っこい。  今日、ひったくりの場にたまたま居合わせた彼。知らない誰かの鞄を取り返すために必死でバイクを追いかけた。当然置いて行かれたが、角を曲がる犯人に思わず叫んでしまった。 「卑怯者」  鞄を根城に仕舞った犯人は、疲れてその場で休んでいた彼の元へ戻って来た。そして殴る蹴ると散々痛めつけた後、去って行った、と。  すまなかったね。私がいれば君はこんな目に合わなかった。何故なら私は強いから。君は私のようになれるかな。正義感だけは私以上かも知れないな。でも気持ちだけがいくら強くても、現実は変わらないんだ。君がするべきことは、まず傷を癒す。次にこれからどうするかを考える。強くなるか卑屈になるか。強くなるなら体を鍛える。卑屈になるならいじけて引き籠る。さて、十四歳。君の明日はどっちだ。  もう少し探る。正義感が強い理由を知りたい。ほう、ヒーローものの特撮ドラマやアニメが好きなのか。ヒーローに憧れている。自分もそうなりたい。純粋だね。では何故体を鍛えることすらしなかった。なれるかどうかはわからないが、少なくとも努力をすれば一歩でも二歩でも君の憧れるヒーローに近付けたよ。なりたいのなら頑張らなきゃ。まあ私は努力なんてしたことも無いけれど。しかしこの小柄で華奢な体躯をもし鍛え上げたらどんな感じになるだろう。想像する。鼻血が出そう。  不意に彼が目を開いた。おっと、流石に長く触れ過ぎたか。起こしてしまってすまない。  私の姿を認めると咄嗟にベッドの端へ寄った。いて、と呟いている。全身打撲だ、そりゃあ痛かろう。掛け布団を抱きしめた彼は震える声で私に問うた。 「誰?」  うむ。静まり返った深夜の病室で赤の他人が自分の頭を撫でている状況など、恐怖体験以外の何ものでもない。残念だがお暇しよう。のんびりとパイプ椅子を片付け、少年に対し仁王立ちをする。 「ヒーロー」  そして彼の目元を手で覆った。これは夢だ。忘れて眠りな。朝にはただの現実が待っている。そして、もし君が憧れ続けるなら、なりたいと思い続けるのなら。夢を現実に変えてみせて。出来れば引き籠らないで欲しいよ。  催眠で彼を眠らせ瞬間移動で屋外に出る。サイコメトリーで記憶を読み取らせてもらった。現場で再びサイコメトリーを使えば犯人を見付けるのは容易い。瞬間移動で向かってもよいのだが、今は空を飛びたい気分だった。夜風を楽しんでいると、おい、と声をかけられた。 「よう、松木。いい夜だねぇ」  同僚に手を振る。肩幅が私の二倍はありそうな大男は溜息をついた。 「小林。お前、また変態行為に及んだだろう」 「失敬な。謂れのない罵倒はやめたまえ」 「顔がにやけている」  自分の頬を撫でる。すべすべのもち肌。それが松木の言う通り緩んでいた。 「役得役得。触らないとサイコメトリーは出来ない。脳に近いところを触った方が正確性が増す。故に私は彼の髪に触れた」 「お前、何でヒーローやってんの。欲求に忠実で、強力な超能力者って絶対に悪事しか働かない奴じゃん」 「持って生まれた正義感故だね」  悪事なんて働かない。正しいことをしているだけ。舌を出す私に、いつか痛い目を見るからな、と首を振った。 「しかし今日は純粋にいい気分だよ。松木は超能力が無くて、力も弱かったとして、他人のためにひったくり犯を追えるかい?」  私の問いに太い指を顎に当てる。サイコキネシスを使えば事足りるのにどうしてここまで鍛え上げているのか。以前聞いた彼の答えは、男ならわかる、だった。私は女なのでわからなかった。 「追いかけない。怖いし危ない。まずは自分の身を大事にしなきゃ」 「乙女か君は。今会ってきた少年は、力というものを何も持たないのに正義感だけで行動したのさ。大したものだ。ヒーローになりたいという、その思いだけで戦った。もし憧れに向かって努力したら、いつか本当に後輩ヒーローとして我々の前に現れるかもよ」 「その時お前は痴漢行為で捕まっているかもな」  軽口に、うるせ、と応じる。だが松木の顔は真剣だ。おい、お前は私を何だと思っている。 「でも特殊能力は一つも無いんだろ。たとえこれから体を鍛えたとして、マッチョなだけじゃヒーローは無理だ」  私と同じ超能力者で、かつマッチョの松木が言うと嫌味にしかならない。お前は両方持っているじゃないか。どっちか彼にあげてこい。しかし実際そんなことは不可能なので口にはしない。 「もし本当に彼が憧れを貫き通すのなら、その時は私が事務員にでも雇ってあげるさ」 「それ、余計にコンプレックスを拗らせないかね」 「知らね。私が気に入っただけだからな」  結論の出ない話に二人とも黙り込む。まずは彼がどんな明日を迎えるか。そしてどちらへ向かって歩き出すか。出来ればヒーローになりたいと思い続けてほしい。その先には私がいるのだぜ。 「じゃあ今日はその犯人を捕まえに行くのか」  松木が話題を変えた。別に黙っていたって私は構わないのだが、こいつは気ぃ遣いなので沈黙が苦手なのだ。 「捕まえるだけで済むと思う?」  私の返答にまた溜息をつく。そして、俺も一緒に行く、と頭を掻いた。 「おや、見物する趣味でもあったのかい」 「お前がやりすぎないよう見張るためだ」  肩を竦める。私はヒーローだ。殺したりは決してしない。ちょっとお仕置きをするだけ。それを見て興奮するのも呆れるのも勝手にすればいい。  月を背に飛ぶ私達の姿に気付く人はいない。給料上がんねぇかなとぼやく松木に独身じゃあ使い道なんて無いだろと返す。我々は日陰の存在。一般人には気付かれず、誰と一緒になることもなく、影より静かに社会を支える者。  それが、ヒーロー。君の憧れさ。
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