遠く

1/1
前へ
/197ページ
次へ

遠く

 「わーい!きっもちいいねえ!」  「そうだね。あ、香歩、髪の毛、」  「え?」  「ほら、口に入ってた」  「んっ」  靴とソックスを砂浜にほおって、私たちは浅瀬の波に膝下まで浸かっている。  とんでもないワガママに、戸田くんは頷いてくれたのだ。  何も考えたくない、どこか遠くに行っちゃいたい。  そんな私の独り言が音になった途端、戸田くんは強い力で私の手を握ると、昇降口までひっぱり、靴をはき、私にもはかせ、そして駆け出した。  頭がついて来ない私を振り返り、見せてくれたのは最高の笑顔で、見惚れてしまうように優しい目をしていたから、まるで別の人のようでドキドキしっぱなし。  駅で切符を買ってくれた。  そこには見慣れない駅名。  私たちは、行くんだ。  どこか遠くへ。  叶えてくれるんだ、戸田くんが。  抱き合っている時間も惜しいけど、だけど、今、必要だよね?これは。とくに、キスは。重要よ。  はじまりのシーンで、キスは、重要なの。  私たちの物語には。  そうだ。そうに決まってる。ね、小説家さん。  もちろん、香歩が望むなら、小説家夫人さん。  
/197ページ

最初のコメントを投稿しよう!

73人が本棚に入れています
本棚に追加