Act5.「アンダーランド」

1/4
前へ
/345ページ
次へ

Act5.「アンダーランド」

「動くな!」  唐突な制止の声に、草むらから起き上がろうとした夢子は動きを止める。その声は白ウサギのものではない。彼よりも少し高いテノールの青年の声だ。全く状況が掴めていないものの、体は強く鋭い命令に直感的に従ってしまう。空気が一瞬にして張り詰めたものに変わっていた。 (一体、なに?)  青年の声は背後からする。夢子はできるだけ首を動かさないよう、目だけを動かしてそちらを窺った。そして、視界の端にちらつく物が何かを知り息を呑む。刃物だ。鈍く光る槍の先のようなものが、首の横に突きつけられている。  キュッと心臓が縮み上がるのを感じた。息が止まり悲鳴さえ出せない。声の主は夢子が大人しくしているのを見て、槍を少しばかり遠ざけ、情けなく上半身を起こしかけたままの体勢の彼女に「立て」と言う。夢子は力の入らない足で何とか立ち上がった。  横目で槍の人物を見るが、青年の顔は帽子の庇で陰っていてよく見えない。着ている服は濃紺の学生服じみたものだった。白いゼッケンみたいなものが付けられていて、真ん中には赤いハートが一つ、大きく描かれている。頭の上の帽子は円筒状で、鼓笛隊を思わせた。  その姿はお城の兵隊のようだったが、衣服や装備品に施された華美な装飾が、兵隊は兵隊でも飾りめいたおもちゃの兵隊を思わせる。もしここが遊園地ならば、スタッフと間違えてしまうだろう。だから余計に、手にしている物騒なものが不釣り合いで恐ろしかった。 「何者だ。一体ここで何をしている」  青年の後ろには数人の兵士達が控えていて、皆一様に夢子を警戒していた。……何故? 夢子は彼らの反応に、穴から落ちてきた時に多少は乱れているであろう自分の身なりを思い出す。しかしそれは、このような待遇を受けるものだろうか? 心配されるなら分かるが、責められる謂れはない。  もしかすると、女子高生の制服自体が彼らにとっては見慣れない不審なものなのかもしれなかった。または、問題は姿形ではなく、この場所に居ること自体にあるのかもしれない。ここが立ち入り禁止の場所だった可能性がある。  分からない。何も分からないが、少なくとも彼らの警戒が不適切なものであるということは分かっていた。自分は丸腰の女子高生で、彼らに危険を及ぼすものなど一つも持ち合わせてはいないのだから。  ……とにかく何か弁明しなければならないだろう。しかし、適した言葉が見つからなかった。青年が訊いているのは自分の名前などではないということは分かっていたし、自分の現状を説明するにはまだ、思考の整理が追い付いていない。 「あの……わたしは穴から落ちてきて……あれ?」  青年を刺激しないよう、視線だけでその方向を示す夢子。しかしそこには転げ落ちてきた斜面すら無くなっていた。魔法みたいに忽然と。  苦し紛れの嘘だと思われては堪らないと焦る夢子。しかし青年には何かが分かったようだった。 「やはり……異世界人か。この森は異世界へ繋がりやすいと聞く。もう長いこと、迷い込んでくる者は居なかったが」  なんだ、分かっているんじゃないか! 夢子は自分を無害な迷い人として迎えてくれるのかと期待する。だがそれは裏切られた。 「異世界人はこの世界に混沌を招く、不吉で危険な存在だ。申し訳ないがここで始末させてもらう」 「えっ、ちょっと待ってください! わたしは……!」  ようやく声が出せた。夢子が普通の少女の声で話し始めたことで、青年は若干動揺して見えたが、すぐに「問答無用」と槍を構え直す。そして切先が素早く夢子の首元に突き刺さる……かに思われたが、青年の行動を遮るように――否、その場の全てを一時停止してしまうように“轟音”が響き渡った。  例えばその音を文字に起こすなら、ドキュン、ドカン、バコン。文字面は間抜けになりがちだが、実際は違う。空気が破裂し、衝撃が波となり、鼓膜を震わせる。それは重厚な銃声だった。
/345ページ

最初のコメントを投稿しよう!

79人が本棚に入れています
本棚に追加