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「人の感情を拡大、縮小……? つまり、感情が昂ってコントロールできなくなったりするってことですか?」
「そういうことですねえ。逆もまた然り。思い当たる事はありませんかあ?」
狸面に問われ、夢子は直近の出来事を振り返ってみる。思い当たる事は無いが……もしかすると……ワシ面達に追われて飛び降りた時は、恐怖に駆られて気が動転していたのかもしれなかった。よく思い出してみれば、あの時ワシ面はこちらに何かを語り掛けてきていたかもしれない。
「うーん。今のところはあまり……でも、気を付けておきます。鏡って恐ろしいものなんですね」
「昔々は、大人しいただの道具だったらしいんですけどねえ。いつからだろうなあ、狂い始めたのは。時間くんさんと違って、個の人格は無い筈なんですけどねえ」
(時間くんさん……)
間抜けな呼び方に、夢子は少し気がほぐれる。狸面は説明を終えると、自慢げに「ふふん」と鼻を鳴らして、常盤の方を見た。
「常盤さん、僕の説明はどうでしたかあ? ちゃあんと勉強してるでしょう? 何点ですかあ?」
「……七十点」
「ええ? マイナス三十点はどこですかあ?」
「まず、喋り方が気に入らない」
「ひどおっ!」
狸面が胸に手を当てのけ反り、大袈裟にショックを受けたポーズをとる。夢子は小さく笑った。常盤の狸に対する態度はモスの時と違って、どこか自然だ。永白に居た時の知り合い……友人なのだろうか?
「あとは、鏡への対策が入っていなかったところだな」
「対策、ですか?」
夢子は説明を請うように首を傾げる。
「ああ。そいつの説明にあったように、鏡は人の意識を受けて作用するただの“触媒”だ。映すものが無ければ何もできない。だから一番の対策は、できるだけ感情を乱さず冷静でいることだ。……それから、疑うこと。鏡は偽りの現実で惑わせてくる。少しでも違和感を覚えたら、目の前の物を疑うようにした方がいい」
冷静でいること。疑う事。……夢子は自分のことを落ち着きのある方で、何でも信じ込みやすいタイプではないと自負しているが、予測不能な出来事ばかり起こるこの世界では、どうなるか分からない。自信なさげに「善処します」と言った。
「ねえ、黄櫨さあん、黄櫨さんは何点くれますかあ?」
狸面は、今度は黄櫨に採点を求めている。黄櫨は本から顔を上げ、暫く無言でじっと彼を見つめると、
「……ところてん」
とポツリと言った。
狸面と夢子が吹き出すのは同時だった。夢子がそこまで笑う様子が意外だったのか、同じく腹を抱えている狸以外は驚いた様子で、黄櫨は少し照れたようにマフラーに顔を埋める。夢子は見られていることが恥ずかしくなり、急いで笑いを落ち着かせ、まだ少し震える声で尋ねた。
「そ、そういえば、常盤さんと黄櫨くんは、この方とお知り合いなんですか?」
「僕の事は“狸”でいいですよお。はい、お知り合いなんですう。この方々は以前、嘉月会の幹部だったんですもん。ねえ?」
「へぇ~……え?」
夢子は思ってもみなかった彼らの関係性に驚く。常盤と黄櫨が以前永白の国に居たということは知っていたが、まさかこの怪しげな組織の中心に居たとは思いもしなかった。二人が否定しないということは事実なのだろう。ジャックは知っていたらしく、特に何の反応も示さない。
嘉月会本部のギラついて危険なイメージからは意外だが……そういえばここは、マフィアではなく魔術を研究している組織なのだ。不思議な力を使う彼らには合っているのかもしれない。
「じゃあ、モスさんとも親しかったんですか?」
「いや。私達が居た時には、モスはまだ此処に居なかった。あいつは定住せずあちこちをフラフラ放浪していて、何度か会ったことがあるだけだ。……何故あいつが副会長なんだ?」
「数年前に、ふら~っと永白にやって来ましてねえ。そんでもって嘉月会にふら~っと迷い込んで来ましてねえ。僕はヤバイ奴だなあと思ったんですが、ヘイヤさんとは気が合ったらしいんですよねえ」
ヘイヤ。夢子はその名前に、先ほど質問しそびれていたことを思い出した。
「あの、ヘイヤさんってどんな方なんですか?」
夢子が言い終えるか終えないかの時、カタ、と卓上で湯呑が音を立てる。黄櫨が湯呑を置いただけだが、何故か妙に気になり彼の顔を見ると……その顔は恐ろしいくらい無だった。いつもの穏やかな無ではなく、張り詰めるような無である。夢子はここに来る馬車の中で“三月ウサギ”について黄櫨に尋ねた時の事を思い出した。
(黄櫨くんはきっと、ヘイヤさんと何かあったんだ……)
常盤は黄櫨に気遣うような目を向けている。狸はそんな彼らの様子に気付いているのかいないのか「ヘイヤさんは面白い人ですよう! 我が道を行く変わり者。誰も敵わない天才魔術師で、研究熱心で、とっても美人。……あ、男性ですけどねえ」とペラペラ言った。
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