Act11.「先遣隊の帰還」

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「油断するなよ!」  ジャックが騎士達に声を掛ける。狸と違い、彼らは仲間への攻撃を躊躇している様子だった。出来るだけ傷付けないように止めようとしているのが窺える。しかしそれは容易ではないのだろう。相手は酒場の一般市民と違い、戦いの勘が染みついた騎士で、更に錯乱によって狂戦士化している。  仲間を傷付け、仲間によって傷付けられていく彼ら。鮮明な赤が雪上に散るのを見て、夢子は耐え難くなり顔を顰めた。そんな夢子の視界を遮るように、常盤が彼女を胸元に引き寄せる。 「目を瞑っていた方がいい。大丈夫だ。ジャックが自分の部下に負けることはない」  常盤は夢子が凄惨な光景に怯えていると思い、安心させるように声を掛けたが、夢子が恐れているのは戦い自体だけではなかった。それ以上に仲間同士の戦いに心を痛めているのだ。顔見知りの騎士達が傷付くことが辛い。負けることが無くても、勝つのも問題なのである。 「止める方法はありませんか? このままじゃ、皆大怪我しちゃいます!」  もしかしたら怪我では済まないかもしれない。どうすればいいのだろう、この戦いを止めるためには。彼らから逃げきる?(わたしが足手まといになる気しかしない) 「端役のモブに心を痛めるなんて、なんてお優しいんでしょうねえっ!」  耳聡い狸が、夢子の言葉に感激の声を上げた。それは本心のようにも馬鹿にしているようにも聞こえる。夢子は無視して思考を巡らせた。 「正気に戻す方法は……」  夢子は出発前にモスから聞いたことを思い出す。昨日暴動を起こした男達は、捕らえられた後鎮静剤を打たれ、眠りについた。鏡による錯乱状態は眠りにより意識をリセットすることで、幾らか正気を取り戻すという。眠りから覚めた後は病室で精神分析(カウンセリング)を行い、彼らは序所に回復に向かっているらしい。……何にしても動きを止めないことにはどうにもできない。 「傷付けず、動きを止めることが出来れば……」  そんな方法があるだろうか? もしこの場に時間くんが居れば、時間停止なんて反則技が使えたかもしれない。そのかわり代償に何を求められるか分かったものではないが。 「君がそこまで言うなら、仕方ないな」 「はい?」  常盤がどこか気の乗らない様子で、手元に分厚い本を取り出す。夢子はそれに見覚えがあった。以前彼がバグを修理する時に手にしていた本。そこには夢子には読み解けない言語で、世界の不具合を修復する何かが記述されている。  今それを持ち出して、一体どうするというのだろう? 疑問符を浮かべる夢子の前で、彼がページをめくる。そしてあるページで手を止めると「これだな」と呟き、その文面を指でなぞった。  ――森の景色に、黒い亀裂が入る。あらゆる法則を無視したようなそれは周囲に馴染んでおらず、切り取って移植されたような異物感があった。元々そこに存在し得ない、存在自体が間違っている……バグだ。    不思議の国の脆弱性から度々発生する不具合、“バグ”。夢子が先日、セブンス領への行き来で身をもって体感したアレ。それに近い気配が、亀裂からも感じられる。  巨大なアシナガグモのようなそれは中心からパックリと裂け、錯乱状態の味方を次々に飲み込んだ。バグの動きに合わせて空気が軋む。視界の画角が揺れ、映像や音にラグが生じ、全てがぎこちなくなる感覚。……それはすぐに、おさまった。 「おい、何をした! あいつらをどこにやったんだ!」  突然姿を消した仲間にジャックが声を荒げる。こちらに向けられたその目は、焦りと怒りで鬼気迫るものだった。常盤は静かに本を閉じると呆れたように「落ち着け、よく見てみろ」と言った。皆の視線が亀裂に集まる。夢子もそこに目を凝らした。  ――確かに、彼らはどこにも行っていないようだ。しかし…… 「あれは、何ですか」  亀裂の向こう。飲まれた彼らはごく薄い、殆ど透明人間のような姿で、森の影と一体化しかけている。三月ウサギの幻覚よりよほど幻覚に見えた。 「過去に発生したバグの再現だ。あの亀裂は空間上に多重空間を生み、そこに人を閉じ込める。出られないこと以外に、特に人体に悪影響はない」 「出られないんですか」 「いや、心配しなくていい。一度解明したバグは再現も修復も難しくないんだ。いつでも消して解放することが出来る。……暫くは、このままにしておいた方が良さそうだがな」    透明になった彼らは目に見えない壁に手を当て、そこから出ようと必死にもがいている。狸が興味深そうにバグに近付き、観察した。 「ほうほう。これもよくある、異空間に繋がる系のバグですねえ。中はどうなってるんですう?」 「完全な暗闇だ。光が無ければ鏡は何も映さない。幻覚を見せる鏡の呪いも、この中に居れば遮断できる筈だ。長時間暗闇の中に居れば、別の悪影響はでるかもしれないが」 「完全な闇! ちょっと気になりますねえ。ねえ夢子さん、錯乱したら入ってみてくださいよう」 「遠慮します」  夢子は間髪入れずにそう言うと、少しだけバグに近付いて、じっとそれを見る。
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