Act11.「先遣隊の帰還」

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 多重空間。目に見えて肌に触れる空間と、折り重なるように存在している別の空間。狸が先程から触れようとしているが、彼の手は宙を切るばかりである。そこにあるが、そこに無いもの。近くて遠い異空間。 (時間くんの居る世界の裏側の“バックグランド”も、普段は見えていないだけで、目の前に広がっているのかもしれない。わたしがそれに気付いていないだけで……)  狸は神妙な顔で考え込む夢子に『やっぱり入ってみたくなりました?』と言おうとしたが、あまりに真剣な様子に気が引けてやめた。 「確かに、無事みたいだな」  中の様子を確認していたジャックがそう言うと、騎士達は安堵と疲労の溜息を漏らす。夢子は、仲間よりもバグの方に興味を惹かれている狸に、淡泊な人だなと思った。 「常盤、お前な。こんな隠し技があるならもっと早く使えよ」 「簡単に言うな。バグはそもそも世界本来の挙動じゃない。負荷がかかるんだ。他のバグを誘発しかねない」 「また難しいことを……で、これは魔術なのか?」 「僕らにとっては魔法ですけどねえ」  狸が言う。ジャックは難しい顔で亀裂を睨んでいた。夢子は何か気掛かりでもあるのかと不安を抱く。(気掛かりしかないけれど) 「さながら……暗黒の牢獄“ダークネス・プリズム”って感じか」 「は?」  ジャックの口から飛び出した謎のワードに、常盤が不意を突かれたような顔をした。夢子も訳が分からずキョトンとする。 「この魔法の名前だ。もうあるのか?」 「そんなもの、特にないが……」    夢子はエースから聞いたジャックの剣の名前を思い出す。……確か“ダークソード”だった筈。どうやら彼は、周りが恥ずかしくなるネーミングセンスをお持ちのようだ。そしてそんな夢子の心の内を、狸が代弁する。 「はーっ! なんですかそのセンスの無い名前はっ! ダメダメですよう!」 「どこが悪いっていうんだよ」 「安直すぎるんですよう! 空白の悪夢“エンプティ・ナイトメア”とかどうです?」 (この人も同類かー!)  夢子はこの状況で笑うのもどうかと思い頬を引き攣らせる。  狸はさておき、ジャックは一応騎士達を気遣って明るく振る舞っているのもあったのだろう。不謹慎かとも思ったが当の彼らにとってはそうではないようで、ルイ達はほっと肩の力が抜けた様子だった。  二人に挟まれた常盤は「勝手にしてくれ……」と疲れと呆れを浮かべている。それを見て、夢子は自分の心の中に生まれ出てしまったものは、そっと秘めておくことにした。 (隠されしもう一つの世界……“アナザーワールド”! とかは言わないでおこう)  狸はカッコいい名前をブツブツ模索しながら、雪の上に横たわる狼面の元に歩いていき、彼女を米俵のように担ぎ上げた。夢子は、怪我人にそんな乱暴にしてもいいのか……と思ったが、口を挟むのはやめておく。戦いのことも怪我のことも彼の方がよく知っているに違いないのだから。 「あの、狸さん。その方だけ正気のままでしたよね? どうして大丈夫だったんでしょう……」 「ああ、彼女は目が見えないんですよお。だから鏡に引っかからなかったんでしょうねえ」  あっけらかんと言う狸に夢子は驚く。どうやら彼女は生まれつき目が見えないらしい。その分他の感覚が研ぎ澄まされているのだろう。彼女の動きに淀みはなく、視力が無いことを少しも気付けなかった。狸は鏡への対抗策として、彼女を同行させたのだろうか。 「狼ちゃんは優秀な子ですから、敵さんも彼女を仕留め損ねたんでしょう。こんなに傷だらけになって……一人で、錯乱した彼らを止めようとしていたんですかねえ」  狸の声が感情を抑え込むように低くなる。彼女を憐れみいじらしく思い、元凶の敵を恨んでいるのだろうか。夢子は少しだけ安心した。彼にも仲間を思いやる心はあるらしい。 「とりあえず、狼さんが横になれる場所を作りましょうか」 「おお、感謝感激雨あられですねえ」
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