届かぬ思い

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***  主人は「社長の自分が誰よりも働かなくてはならない」と常日頃言っていて、土日、社員は出勤しなくても一人で働いている。私も仕事がある時は一緒に出る。むしろない時も出勤すれば良いのだろうと思う。こうして母が家に来ることになるくらいなら。 「相変わらず汚いわね、あんたの家。修治さん、もしかして家にいたくないから会社に行くんじゃないの?」  そんな単純な理由だったらどんなにいいだろう。この人には、残業代の付かない主人が社員の分まで働いて会社をなんとか回らせているなんてこと、分からないのだ。 「そうかもね」 「そうかもねって、じゃあなんで片付けないの?」  片付けようにも時間がない。せっかくの休みで家事をしたい時に限って母は来る。  「時間がないんだよ」  母は私の返事に大げさにため息をついた。しかし、次の瞬間には、 「今日はなんのご飯なの?」  と言ってくる。 「豚肉とピーマンがあるからそれを炒める。後は残り野菜で味噌汁にするよ」 「ずいぶん質素な料理ね。もう一品ぐらいつければ? あんたのところは旦那が社長なんだから、もっとお金あるんじゃないの? 料理ぐらい美味しいもの作らないと浮気されるわよ」  浮気。そんなことする暇もないほど必死で働いている主人の姿を見ている私には、乾いた笑いしか出てこない。 「社長がお金持ってる会社は大きな会社だけだよ。修治さんは自分の給与下げてまでして社員さんに給与払ってるんだから」 「そうなの? でも分かる気がするわ。修治さんは優しいものね。でもそんなんじゃいくら経っても会社は軌道に乗りそうもないわね」  ぽたりぽたりと心の底に黒いものが溜まっていく。いつからだっけ。もうだいぶん昔から。  母には分からない。会社を軌道に乗せることがどんなに難しいか。大企業に結婚するまでの数年しか勤めず、後は高給取りだった父の給与で経済的な不自由なく暮らしてきた母。主人の仕事の辛さも、中小企業がどんなに大変かも分かるわけがない。  母には分からない。自分の何気ない言葉がどれだけ相手を傷つけているかなんて。  いつもそうだ。母はただ分からないのだ。 「創太は日立で順調に出世してるみたいよ。給与もかなりもらってるみたいで。社長と社員どっちの方がいいか分からないわね」  年が九つ離れている弟の創太は母のお気に入りだ。反抗期も知らずに育った創太はややマザコンで、そこが母にとってはますます可愛いらしい。私も反抗期はなかったはずだけれど。 「創太ったら、私の手料理が食べたいって今でも電話してくるのよ。早く彼女作ればいいのに。あんたも旦那の胃袋はつかんでおきなさいよ」  創太に彼女がいることを知ってるが母の機嫌が悪くなるだろうから黙っておく。  料理。創太の皿には創太の好きなものがたくさん。私の皿には毎日同じ野菜炒め。それでも作ってもらってるのだからと我慢した日々。同じお腹を痛めて産んだ子なのにどうして差をつけられるのか悩んでいたのを思い出す。いまだになぜだったのか理解できない。  
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