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「仕事にミスはないですけど、ぼんやりしているというか」
「すみません」
「怒っているわけではないですよ」
唯も最近、自分が心ここにあらずであることに自覚はあった。
「気をつけます……」
「そうではなくて」
千歳は緩やかに首を横に振る。艶やかな黒髪がさらりと揺れた。
一つ一つの動作に品があり、唯は気を抜くと彼のことをいつまでも眺めてしまいそうになる。
もうすぐ三十一歳になる千歳の見た目は、唯が出会った時とそれほど変わらなかった。知的で中性的な顔は常に涼しげな笑みを浮かべており、取引先で若いからと馬鹿にされても笑っている。そうして最後には欲しいものを全部取っていく人だった。
「何かあったんですか」
「何もないです」
「本当に?」
「……本当、です」
仕事関係では何もないのだ。嘘ではない。
それでも間ができてしまったのは、嘘を吐いている気分になったからだ。
「分かりました」
しかし、千歳は深く追求するのを止めてくれた。
唯は助かったとばかりに心の中でほっと息を吐く。
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