時を越えて

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時を越えて

僕の曾祖父が亡くなった。老衰だった。 亡くなる前、僕は彼とたくさん話をした。僕と彼は見ている世界がよく似ていた。聴こえる音がよく似ていた。 校庭に誰か立っている。それは黒くて切り株の上に立っているんじゃないのかい? また知らないバスが来た。手を振ると金髪の軍人さんが返事をしてくれるよ。 肝試しに誘われたんだ。可哀想に、その子達は帰ってこれないね。 中でも僕が一番よく覚えている話は「時報」の話だった。 彼はよく時報の音に別のものを聞き取っていた。時には叫びだし、ごめんなさいと涙を流した。時にはベッドのシーツにくるまって、その時間が過ぎるのをじっと待っていた。 僕は彼にたずねた。 「何がきこえるの?」 彼はこう言った。 「お前にはきこえないのかい?」 僕には何もきこえなかった。ただ、時間を告げる単調な音だけが聞こえていた。 そして、亡くなる直前にあの話をしたんだ。戦時中の、登校途中で落とされた爆弾の話。亡くした親友。どうしてそんな話を今するのか、僕は彼にたずねた。本当に今にも息が止まりそうな状態だったから余計に。 「だって、あのカレがお前に伝えろと言うんだ」 彼は言った。彼が言う「カレ」とは誰のことなんだろう。 「お前にもわかるさ。今に、きこえるようになる」 そう言って、彼は息を引き取った。 彼が出棺されるとき、長くクラクションが鳴らされた。 火葬され、彼がただの灰になるだろう時に昼を告げる時報が鳴った。 その時から、僕は彼の言った言葉の意味を知るようになった。 節目節目の時間を告げる音。例えば時報だったり、学校のチャイムだったり、行方不明者の捜索を呼び掛ける放送だったり。そう、終戦の日の昼に黙祷を促すサイレン。 誰もが聞いたことのあるあの音たち。僕もその時まで当たり前に聞いていた音たち。 僕の耳は彼が世界からいなくなった瞬間から別の音を拾い始めた。 誰かの悲鳴。呻き声。足音。銃声。クラクション。ブレーキ音。何かが落ちる音。水の音。 何かの音。誰かの声。 意味がわからない、別の音たち。聴こえるはずのない音たち。 そんなものが「時報」と呼ばれる音に混じっていた。 彼が、曾祖父が死ぬまで聞き続けていた音だった。 それが何かわかったのは彼の一周忌でのことだった。 仏壇の前で僕は手を合わせた。その部屋には鳩時計がかかっていた。カチカチ時計が鳴る。節目の時間に機械仕掛けの鳩が鳴きながら時計から出てくる。 その時、僕は聞いてしまった。 僕の名前を呼ぶ彼の声を。 亡くなった曾祖父は僕を呼んでいた。声をきけと、その音を聴けと僕を呼んでいた。 あの声で名前が呼ばれた瞬間、僕には解ってしまった。 彼に話せと言っていた「カレ」の声はこれなんだ、と。 どうかみなさん、聞いてください。 話す人が亡くなれば、誰も語らなくなります。だから聞いてください。 彼らは、話すことのできた彼らはもういないのです。もう、どこにもいないのです。 だから聞いてください。その音を。 時報の音は、時間を刻む音なんです。過去になってしまう現在を未来に残すために刻む音なんです。 聞いてください。聴いてください。 繰り返される時報の音には、刻まれた過去の音が混じっているんです。亡くなった人の声。災害の音。その日も響いていたはずの音たち。それが今も繰り返されているんです。 彼らの声は、今も同じ時間に繰り返されているんです。 刻まれた彼らの音。いつか刻むだろう僕の音。 過去から未来へ。 誰かにきいてもらうために、知ってもらうために、その音たちは繰り返します。繰り返しているんです。 僕にはきこえている。曾祖父の親友だったカレが亡くなった時間になると、少年の声が聴こえるんです。知らないカレは、僕の曾祖父の名前を呼びます。 そして、こう言うんです。 ゴメンネ、××。君と約束した明日はもうこないよ。 曾祖父は死ぬまでその声を聞き続けました。 カレは確かに生きていたんです。そして、もういないのです。 どうかキイテ。きいてください。 今も時間は刻まれている。刻み込められた時の音が、この世に響き渡っている。
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