ヴィクトル・シェンクの受難

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「ヴィクトル、私達がここで出会えたのは運命だと思うの。私と一緒に来ない?」  ヴィクトルは女の肩を掴み離しながら、遮るように口を開いた。 「待て。あんたの言ってる事が本当だとして、あんたと俺は生まれた時代も場所も全く違う、そういう意味じゃほとんどあかの他人だと思うが?」 「……」  一瞬、ミランダの表情が固まる。  だが直ぐに彼女は長い睫毛を伏せ、しおらしく腕にすがって語り始めた。 「警戒されるのは尤もだわね……。でも、信じて。私は同胞として、親族として、あなたを救いたいの……この国で、見た目もエルカーズ人とは異なる貴方は、今まで快くない目に遭ってきたんじゃなくて? 神殿兵の生活も苦しいと聞いたわ」  ヴィクトルは失笑した。 「……随分俺のことをよく知ってるんだな、ミランダ。確かに俺は半分バルドル人で、薄給で、この肌の色のせいで現在進行形で酷い目に遭ってるかもな。――で? そんな俺に目を付けたのはどういう見立てだ。バルドルの殺し屋め」  ヴィクトルは女の長いスカートを掴み、太腿のあたりをビッと勢いよく破いた。  褐色の扇情的な太腿が露わになり、ガーターベルトに仕込まれた抜き身の短剣が三本、ギラリと光る。 「俺は散々あんたと同じようなのをここで捕まえてるから分かるが、あんたの身のこなしは素人じゃない。その武器も、バルドルの暗殺者が好んで使うものだ」  ミランダは軽く舌打ちすると、ヴィクトルの手から破れかけたスカートを奪いながら素早く離れた。 「……酷いわ……女のスカートを破くなんて」 「あんたがさっさと正体を明かさないからだろうが。何故俺を仲間に引き入れようとする?」  聞くと、女は自ら残りの布をビリビリと破きながら話し始めた。 「流石は我が一族の男ね……お為ごかしはやめるわ。私のことは御察しの通りよ」  真っ赤に染めた爪が破れた裾を床に捨て去り、美しい両脚が露わになる。 「貴方の実質的な主のタールベルク伯爵は、この国で最も王に近い男だと言われているわ。彼は、悪魔の加護を受けているともっぱらの噂よ……そんな男がこの国の王になったら、エルカーズはまた以前のように悪魔の力を借りて周辺の国を脅かしかねない」  ミランダは冷たい微笑みを浮かべ、腿のナイフを撫でた。 「私の任務は伯爵の暗殺……でも、隙がなさすぎて近づくことすら出来なかった。――だから、あなたの協力が欲しいの。伯爵に近づくことが出来る、私たちと同じ唯一の神を信じているバルドル人……あなたの力がね」  その言葉にヴィクトルは一瞬目を丸くしたが、次第に腹から笑いがこみ上げてきて、我慢しきれず吹き出した。 「くっ。ふふ……悪魔の力か。はっきり言って、その噂には同意しかねえな」  ミランダが嬉しそうに畳みかける。 「――やっぱり……! あなたなら必ず私の話に耳を傾けてくれると思っていたわ」  ヴィクトルは笑いながらうなずいた。 「確かに伯爵は悪魔の加護を受けている……というか、悪魔そのものと言ってもいいくらいだが」 「だとすれば、決まりね。……もしあなたが伯爵の暗殺に協力してくれるなら、バルドルは貴方への助力を惜しまない。私の雇い主が、莫大な報酬と、バルドルでの永住権と爵位を約束するわ。収入も暮らしも今の何倍も良くなる。……だから」 「断る」  拒絶と共に、ヴィクトルは腰の剣をスラリと抜いて薙ぎ払った。  ドレスを着た細身の体が柔軟に反ってその刃を避け、そのまま背後に宙返りをし、恐ろしく軽い身のこなしでストンと着地する。 「……何ですって……?」  乱れた黒髪の間から見える表情からは笑みが消え、怒りがあらわになっていた。 「……伯爵に恨みがないと言えば嘘になるが、殺したら俺の大事な人間が悲しむ」  淡々と話すヴィクトルに対し、ミランダは太腿からナイフを抜き放とうとした。  だが、ヴィクトルの操る長剣が一閃し、あっけなくそれをはじき落とす。 「……どうやら俺はあんたを捕まえて尋問し、最後は国に強制送還してやらねえといけないようだ。勤務時間外だから気が乗らねえが、ナイフを全部捨てて王城まで付いてきて貰おうか」  ミランダの表情に影が深くなる。 「哀れな男。この国の悪魔に取り憑かれているのね」  彼女は憎々しげな口調で渋々と残りの短剣をガーターベルトから抜き、床に捨てた。 「よく分かったな。とりあえずこっちに――」  言いかけた途端、背後に殺気を感じてヴィクトルは飛び退いた。  一瞬前まで自分のいた空間が曲刀で切り裂かれる。 「!」  姿勢を低くしながら振り向くと、顔を黒い頭巾で隠した旅装束の屈強な男が刀を再び振り下ろすところだった。  それも横っ跳びに避けながら、出入り口のドアの方を一瞬うかがう。  扉は閉まっていた。誰かが入ってきた気配がなかったことを考えると、恐らく暗殺者の仲間だろう。  気配を隠して入ってきたか、もしくはこの部屋に潜んでいたのか。 (ちっ、アミュが居れば――)  どうしてもそんな事を考えてしまいながら、必死で攻撃を避ける。  追い詰められるように逃れて背中を壁に付けた途端、短剣が飛んできてグサリと顔の横に刺さった。 「!」  まだ酒の酔いが抜けきらず、息の上がったヴィクトルに暗殺者たちが迫る。  ミランダは細く鋭い短剣を構え、歪んだ笑顔を浮かべていた。 「ヴィクトル! 最後のチャンスよ。私達の仲間になりなさい。貴方の素質があれば、素晴らしい暗殺者になれる。……身寄りのないあなたの、新しい家族になれるのよ――私達ならば」  籠絡するその言葉に、ヴィクトルは薄く笑った。 「……悪いが、俺の家族は死んだお袋と、どうしようもない間抜けなタコだけだ。――」  刃物が目にも留まらぬ速さで放たれ、ヴィクトルの心臓と頭を狙った。
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