主神の祝福

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「勝手に同情して勝手に泣くなよ……」  呆れて怒る気も失せながら身体の下にいる神を見下ろす。  異形の神は触手の先端でヴィクトルの背中を撫でながら、ため息混じりに言葉を紡いだ。 「……お前が今は、私を必要ないと思うのなら仕方ない……。私の助力が本当に必要となる時を待つとしよう。……お前のそばで」 「は!?」  言っている意味が分からず怒って聞き返す。  途端、目の前の男の姿は水のように溶け落ち始めた。 「――!!」  同時に彼の背景のベッドも、鏡張りの部屋も全てが幻のように目の前から消え去って行く。 「おいっ、何が起こってる……!?」  余りにも不可思議な出来事の連続に戸惑っている内に、ヴィクトルはなぜか、元の広場の喧騒の中、バアルが宝石を売っていた場所に一人、座り込んでいる自分に気付いた。  膝の下には天鵞絨の敷布があるが、宝石もバアルの姿も影も形もない。 (白昼夢……!?)  いや、そんなはずはない。  服越しに触手に絡まれた感触を思い出し、一瞬ゾッとする。  何事もなかったかのように目の前を行き交う人々の波を見上げながら、ゆっくりと立ち上がった。  少し足元がふらつく。――何だかまだ夢を見ているようだ。  妙に左の肩が重くてだるい様な気がして、無意識にそちらに腕をやった。  ――と、その時。  ザワリと何かがそこを動く気配がして、背中を伝う様に何かが左肩から右肩に移る感触がした。 「……!?」  恐る恐る左肩に触れるが、そこには何もない。  だが、代わりに今度は右の肩がずっしりと重くなっていた。  息を呑み、今度はサッと素早く右の肩に触れると、その付近から何か小さいものが、背中をザザザと伝って腰の方に移動してゆく。  バッと背中を振り向くが、相手は絶妙に視界の範囲を逃れ、姿を見せようとしない。  何とか掴もうとして両手を共に背中に伸ばしたが、くっついているモノは微妙な距離感の場所をスッスッと移っていき、どうしても指先が届かなかった。 (お……俺の背中に、何かがいる……!)  余りの気味の悪さに叫び出したい様な気分になる。  恐らく、あの押し売り神が置き土産を自分に貼り付けたに違いない。 「ちきしょう、あいつ今度会ったら殴ってやるぞ……!」  憎々しく舌打ちする。  とにかく、背中のこれはあちこち逃げるので、自分で駆除するのは厄介そうだ。 (誰かに協力させてひっぺがすしかねぇな……)  ――うんざりと肩を落とした時だった。 「おーい、ヴィクトルさん! こんなところに居たのかい!?」  群衆の中から、聞き覚えのある声に呼び掛けられた。  人々の中を掻き分けて、薄汚れたエプロン姿の、頭のハゲた中年男が目の前に飛び出してくる。  息を切らしたその男は、顔見知りの酒場の店主だった。 「うちの店の前で、酔っ払い同士が周りの客まで巻き込んで、派手な喧嘩を始めちまったんだ。このまんまじゃ、怪我人が出ちまう。助けてくれ!」 「なんだと……」  ――今、俺は取り込み中なんだが、と言いたいところだが彼の様子からすると事態は一刻を争うようだ。 「……分かった今すぐいく」  仕方なく頷き、ヴィクトルは群衆の中を縫うように、酒場に向かって移動し始めた。  後を追うように付いてくる酒場のオヤジが、ギョッとしたように声をあげる。 「旦那、背中に何かこう……よく分からないモノが貼り付いてますぜ!?」 「やっぱり、そうか。俺には見えないんだが、どんなものが付いてる?」  早足で広場を出つつ、努めて冷静に聞き返した。 「は、はあ……。なんというか、(たこ)の足の短いのが10本ぐらい付いてる、大きさも蛸くらいの、白くて丸いのが背中にピッタリと……ギャッ」 「どうした」 「す、すみません。今、そいつがこっちを振り返ったもので……。目が……。まん丸い目に睨まれた」 「どんな目だ。幾つある」 「不気味なくらいデカくて紫色のヤツが、ふ、ふたつ……そ、そのへんてこりんなのはヴィクトルさんのペットか何かで?」  嫌な予感が的中し、ヴィクトルはその場に座り込みたいような気分になった。  どうやら自分は今、共通語で言う所の「悪魔憑き」という状態らしい。  背中についている紫の目のおかしな生き物はバアルの置き土産だろう。  彼は恐らく自分が助力を望むまで、ずっと取り憑くつもりなのだ。 (冗談じゃねーぞ……!)  黒豹にされたのも、アビゴール・カインの一件もそうだが、何故いつも自分ばかりが神絡みでこんな災難に巻き込まれるのだろう。 「オヤジ。喧嘩が片付いた後でいいからそいつを俺の背中から引っぺがしてくれねえか」 「は、はあ」 (仕事が落ち着いたら、死んでも剥がしてやる)  心に固く誓い、酒場の店主と共に大通りの方へ出た。  広い通りは既に野次馬で一杯で、店へ近づこうとするが、一歩も前へ進めない。  ただ数十フィート先から、怒号や声援だけが聞こえてくる。 「この野郎、殺してやる!」 「何を、この田舎者! とっとと帰って畑でも耕してろってんだ畜生!」 「いいぞ、グンター、やっちまえ!」 「おい、どっちが勝つか賭けねえか。田舎もんのニイちゃんの方にエール一杯!」 「俺はグンターに二杯だ!」  周囲の酔っ払いは喧嘩を諌めるどころか、賭けまで始めている始末だ。  こんな時に、ほかの神殿兵は一体何をしているのだろう。  自分一人では既に手に負える気がしなかったが、取り敢えず大声を上げて牽制した。 「おい、やめろ! 俺は神殿兵だ! これ以上騒ぎを起こすようなら、全員まとめて城の地下牢にぶち込むぞ!!」  だが、ついに殴り合いが始まってしまったのか、前方の群衆がワッと沸き立ち、叫びは虚しく喧騒にかき消される。 「畜生、お前ら話を聞け! ちょっと、通してくれ!」  苛立って叫んだ時だった。 「みゅう……」  背中の後ろから、子供の声のような奇妙な鳴き声が聞こえた。  同時に、白い蛇のような細長い何かが脇の下を通り、前に向かってニュッと伸び始める。 「!?」  ヴィクトルが驚いて動きを止めると、それは視界をかすめて人々の身体の隙間に入り、勝手に群衆の中心へと進み始めた。  背中に取り憑いた謎の生物が触手を出している――という事実に気付き、悪寒が走る。
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