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脚なのか手なのか、白い不気味なものはスルスルと野次馬の間を縫うように動き、やがて背中にビクッと奇妙な反動を伝えて止まった。
「ギャッ! 助けてくれえ!」
先程まで喧嘩をしていた男の一人と思しき声が叫び始める。
しかも、それは前方からではなく、頭の上から聞こえてくるような――。
怪訝に思って顔を上げた瞬間、信じがたい光景が目に飛び込んできた。
背中の後ろから出ている触手が、酔っ払いの男性を二人高々と空中に持ち上げ、ウネウネと踊っている。
今や野次馬は不気味なほど静まり返り、全員が呆気にとられてこちらを振り返って見ていた。
「ヴィクトルさん……? あんた背中から一体、何を出して……」
顔見知りの農夫がいかにも気持ち悪そうな表情で自分の顔を覗き込んでいる。
(まっ、まずい……!)
焦ったヴィクトルは咄嗟に、平然とした顔を装い取り繕った。
「――俺の背中に付いてるのは、伯爵様が外国から輸入した、アミュという名前の珍しい生き物だ」
わざと大声を出し、身体を捩って周囲に背中を見せつける。
「どういう訳か知らんが、俺にすっかり懐いちまってな。ちょっとばかり獰猛だから、手ェ出すと噛むぞ! あんまり俺に近づかない方がいい。さあ、どいてくれ!」
海が割れるかのように、群衆がザーッとヴィクトルの前後に道を開けた。
便宜上仕方なくアミュと名付けた生物が、軽々と男二人を持ち上げたままこちらに引き寄せる。
恐怖で口も利けなくなった二人が目の前にストンと降ろされ、触手はスルスルと引いて、また背中の後ろに収まった。
呆然としてへたり込む二人の酔っ払いに声をかける。
「お前ら、だいぶ酔ってるようだが喧嘩はやめろ」
「へ、へえ……そんな気分も失せました……」
群衆に名前を呼ばれていた職人風の男が呻く。
「お前もな」
相手の農夫らしき青年にも告げたが、彼はよほど精神的ショックが大きかったのか、返事もしなかった。
そんな事をしている内に、集まっていた人集りも徐々に崩れて無くなっていく。
(怪我人も出なかったし、地下牢にぶち込むところまで行かずに済んだな……)
面倒ごとがあっさり解決し、ほっと胸を撫で下ろした。
だが、この結果を背中に取り憑いている悪魔の功績と思うのはかなり癪だ。
散って行く人混みに再び飛び込み、すぐに人気のない路地裏に入ってゆく。
誰もいないのを確認してからヴィクトルは背中に向かって話しかけた。
「おい、お前。隠れてんじゃねえよ。コソコソしてないで見える所に来い」
しかし、まるで聞こえていないかのように相手は微動だにしない。
「畜生……」
さっきの店主はどさくさに紛れて自分の店に帰ってしまったようだし、ほかに協力を仰ごうにも、自分で「近付くな」と言ってしまっただけに、手を貸してくれそうな人間は居なさそうだ。
「まいったぜ……」
頭を抱えて狭くて暗い路地に座り込んだ時だった。
「おーい、ヴィクトル。何やってんだよ。んなとこ座り込んで、クソでもしてんのか?」
――まるで知性というものが感じられないその聞き慣れた声にハッと振り向けば、見覚えのある青い軍服の二人が路地に入ってくる。
山賊時代からの腐れ縁の二人組、短い金髪を刈り上げたチンピラのエリクに、茶色の巻き毛をした遊び人のフレディだ。
こちらとしては特に仲が良いとも思っていないのだが、どこへ行くにも何かと金魚の糞のようにつきまとってきた挙句、今はガラでもない神殿兵をやっている二人である。
渡りに船と、ヴィクトルは片手を挙げて声を掛けた。
「お前ら、丁度いい所に来やがったな。俺の背中に付いてるもんを剥がしてくれ。カネになるぞ」
「へえ~、なんか珍しい生き物でも捕まえたのかよ」
カネ、という言葉に目が眩んだのか、二人はまんまと狭い路地裏の奥に入って来た。
「ほらほら、こいつだ」
相変わらず自分では見ることが出来ないものの、屈んだまま丸めた背中を二人に晒して見せる。
「なんだ、単なる白いタコじゃねえか」
「聞いて驚け。こいつは主神バアルの使いだ。金でも宝石でも何でも出してくれるとよ……」
「へぇっ、そいつはド偉いタコじゃねえか。よしよし、俺が剥がしてやる」
巻き毛でソバカスだらけの顔のフレディが、手ぐすねを引きながら背中に近付く。
「よしよし、取れそうだぜ――、っぅあ痛ぁ!!」
「ギャハハハハ!! ダッセー、こいつ噛まれてやんの!!」
金髪のエリクが腹を抱えて馬鹿笑いした。
「俺に任せろ。ほおらタコちゃん、いい子でちゅね~。パパの所においでぇ」
猫撫で声で迫ってくるチンピラに余りいい気分はしないものの背中を任せたが、
「イデデデデ!! ひいっ、目が、目があ!! こいつ、何か吐きやがった!!」
どうやら憑き物は相当抵抗が激しいタイプのようだった。
(やっぱ、一筋縄じゃいかねえって訳か……ほかの作戦を考えねえとな)
長く大きな溜息を吐き、膝を伸ばして立ち上がる。
「おいっ、カネどころかひでえ目に遭っただけじゃねえか!? どうしてくれんだよヴィクトル」
振り返るとエリクとフレディが激昂して詰め寄ってきた。
「うるせえな、俺だって今現在進行形でひでえ目に遭ってんだよ。大体お前たち、仕事はどうしたんだ。お前らの持ち場は今日は王城方面だろうが」
助けを頼んだことも棚に上げて責めると、二人は途端にバツの悪そうな顔になる。
「だってよ、総長さまだってなんだかんだ言ってオサボリになられてんだぜ。俺たちだって、なあ」
「伯爵さまの執務室に泥棒でも入ってみろ。総長にまた半殺しにされるぞ」
二人の顔色が青くなった。
「ちっ、戻るよ。まったくお前がそんな真面目野郎になっちまうとはな。つまんねえぜ」
エリクが捨て台詞を吐きながら背中を向け、路地を出て行く。
それに続いてフレディもこちらを振り返りつつ歩き始めた。
「待て、俺も一度王城に戻る」
ヴィクトルは彼らの後を追いかけるようにして通りに出た。
この厄介な生物の剥がし方は、恐らくアビゴール・カインくらいしか知らないに違いない。
彼に頼るなど不本意極まりなかったが、背に腹は代えられなかった。
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