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主神の祝福
王都が春の祝祭を迎えようとしている。
夜も人通りが絶えず、華やぎに満ちた城下の街とは裏腹に、丘の麓の神殿は真夜中の静けさに満ちていた。
その奥深い身廊の地下には、一部の神官だけの知る秘密の部屋がある。
蝋燭と供物を並べた祭壇が壁際に置かれてている他は何もないその部屋に、ひと柱の異形の神の姿があった。
片方の端の折れた山羊の巻角に、黒いローブの上を流れる艶やかな銀髪、美しい女性的な容貌――その名はアビゴール・カイン。
厳かな儀式が彼の手により、今まさに行われようとしていた。
「扉よ開け」
古い神の国の言葉による独特の発音がカインの赤い唇から発せられる。
足元に描かれた魔法陣から迸るような青い光が天井に上がり、絹糸のような長い髪が舞い上がった。
「――我がはらからの古き神々よ。我が求めに応じる者は、血肉を持った可視の姿となり、この聖域に現れ出でよ……我は汝らをこの世界に召喚する」
光が一層に強くなり、常人では目が開けていられない程の閃光が地下室に溢れる。
やがて、全てを消し飛ばすような光の世界に、まるで塵が集まって行くように人の形が少しずつ作られた。
目蓋を閉じた白く美しい顔と、フワフワと縦巻きになる程に波打った長い白髪。
僧衣のような純白のトーガに身を包んだ長身の男の姿が瞬く間に完成すると、眩しい光は徐々に収まった。
男の裸足の足先が地に降り立ち、召喚者の前に踏み出す。
その神々しい姿を目の当たりにして、普段滅多に狼狽を見せないカインの相貌に驚きの色が浮かんだ。
「ちょっ、おい」
彼の革の長靴の足が無意識に一歩退く。
異世界からやってきた男はその反応に微かに笑みを浮かべ、光がさざめくような声を発した。
「アビゴールよ……久しぶりだな」
名を呼ばれた息子は、嫌な相手がやって来てしまったとばかりに整った眉をしかめた。
「父上……俺はあんたを呼んだ覚えはねぇぞ」
そっけない出迎えに、男が困ったように笑う。
「私が来てはいけなかったか? 子供達が楽しそうな祭をするというから、楽しみにしていたのに」
「暇なのかよ。……あんたみたいな世間知らずがこんな修羅の世界をフラフラしてると、また力を利用されるのがオチだぞ。さっさと帰れ」
カインがローブを翻してにべもなく背を向け、立ち去ろうとする。
つれない後ろ姿を、父神は優しげな口調で引き止めた。
「相変わらずつれない態度だなあ。寂しいぞ」
「知るか。祭りの夜の賑やかしにほかの兄貴でも呼ぼうと思っただけなのに、何で主神バアルが来ちまうんだ。神官の爺さんが腰抜かして心臓止まっちまうだろうが……早く失せろ」
「そんなことを言われても、もう来てしまったものはどうしようもないだろう? ――おや」
会話するうちに息子の異変に気付き、召喚された神――この国の最高神、バアルは深い紫色の瞳を見開いた。
「おやおや、お前――ツノが折れてしまっているじゃあないか。あんなに見事な美しい角だったのに……不注意でどこかにぶつけたのか?」
カインは不愉快そうに眉を吊り上げ、振り返って言い放った。
「ちげーよ。結婚したんだよ、結婚」
父神が一瞬、固まったように絶句する。
カインは気にも留めず再び踵を返した。
「帰らねえってんなら、祭が終わるまでずっとこの地下室にでもこもっとけ。じゃあな」
「待て、待て。結婚? ……お前が?」
白いトーガの布の下からシュルンと白く滑らかな触手が飛び出し、カインの腕に巻き付く。
「うるせえな、離せよ」
「……。はねっかえりの我が末息子が、まさか結婚をするなんて……」
驚きを隠しきれない父親に、ムッとした口調でカインが言い放つ。
「あんただって今まで何十人もとしてるだろ、結婚ぐらい」
「……私はお前の母親に愛想を尽かされてからはずっと独り身だぞ」
「本当かよ……怪しいもんだな。もう折るツノも無くなっちまって結婚できないだけなんじゃねえのか」
腕が強く振られて、巻き付いた触手がもぎ離された。
「ふふっ、お前は母親似だなあ……そういう所が可愛くて仕方がないぞ」
バアルがその神々しい顔に華やかな笑みを浮かべる。
「お前のことだ、私が単に遊びに来ただけではない事に気付いているのだろう?」
「……」
背を向けたまま黒衣の神が押し黙った。
「……本当に後悔はないのか、聞きに来たのだ。お前が一人の人間に助力を与えた挙句、その成就にも手を下した罪は、私や兄弟達を助けた事で既に相殺されている」
主神はゆっくりと魔法陣から足を踏み出し、カインの背後に近付いた。
「お前は力を取り戻し、我らの世界に帰り今まで通りの暮らしをすることもできるのに。何故、それを選ばない?」
黒衣の背中は微動だにせず、ただ落ち着いた低い声だけが地下室に響いた。
「ひとりの人間に助力を重ねる事が罪なら、今でも俺は罪を犯し続けている事になる。だから俺は力を殆ど無くしてここに来た――それでいいんだよ」
バアルの表情が柔らかく緩んだ。
「……。その人間といるこの世界は、そんなに楽しいものなのか?」
照れたように僅かに目元を染め、カインが顔をこちらに向けた。
「たっ、楽しい訳じゃねえよ。……でもまあ、少なくともレオンとのセックスは楽しいかな」
「レオン? あぁ、あの時お前と一緒に王城に現れた色白の男か」
「覚えてんのか?」
ルビー色の瞳が意外そうに見開く。
「あの老王の中で見えてはいたからな。なるほど、そんな風には見えなかったが――あの人間はそんなに色事が得意なのか」
華やかな微笑みと共に、主神は思いついたようにぽんと拳で手のひらを叩いた。
「……では、私もひとつ試してみるかな。レオンとのセックスとやらを」
「はぁ!? 馬鹿野郎、ブチ殺すぞ!!」
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