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若侍は、貧しい者から賄賂を受け取り、俺は今日はこれだけ稼いだと言い合う同僚を睨む。
「おお怖い。あんな目をして」
遠巻きに陰口を聞かれながら、自分だけはと歯を食いしばり、貧しさの中に身を置いた。かといって、農民のために何かができるわけでもなかった。
厳しい教育制度の中では、異性のことを話題にすることも禁じられている。
心の通う者同士が目線で合図を送りあうのを、見とがめる輩がいる。あれとあれは通じ合っている、今に村八分になるだろうと言い合う仲間を、彼は黙って眺めている。
ひもじい生活。
欲の炎に苦しむ夜。
己の中にも手前の都合の欲があり、しかも、その欲は相当に差し迫っているのだった。
明るい月が、閉じた瞼を通して彼の中を照らし出した。蓋をして見ないようにしまいこんでいた部分を、容赦なく暴いていた。
彼は心の中で、ほくほく顔で農民から賄賂を受け取り、そのぶん、家を豊かにすることに成功していた。
妄想の中で、自分を慕ってくる女を、誰にも見られないところに誘い込んで秘密の関係を持った。
その、見たくもない自分の姿を、目の前に突き付けられていた。
彼は目をきつく閉じ、見ないようにしようと努めたが、月明かりは強すぎた。目を閉じるほど、醜い己が浮き上がった。
ついに彼は目を開き、はっと自分の前を見たのだった。
脂汗が流れ込み、視界はぼやけている。
自分の膝に跨り、肩に手を乗せ、顔を寄せてくる女がいた。白い顔は天女のように美しく、柔らかな曲線が神々しいほど輝いている。
女は微笑み、顔を斜めに傾けた。唇が重なった瞬間、若侍は両手を女の身体にあてがった。
だが、その瞬間、それまで気配すらなかった薄雲が、天頂の月にかかったのだった。
真昼のように明るかった世界は、突如夜に引き戻された。
腕の中の女は唐突に消え、若侍は一人、座禅石に取り残された。
唇には粘っこい感触がこびりついている。
手弱女のやわやわとした触れ心地と優し気な残り香を、彼は惜しんだ。
そうして、今まで憎悪と軽蔑でしか見ることができなかった卑劣な役人仲間や、だらしなく女欲に負けて村八分になった滑稽な男のことを、ほんの瞬間ではあったが、哀れに思うことができたのだった。
ざわざわと竹藪が音を立ててしなり、風が不意に強くなった。
淡いにおいをさせた風がどんどん吹いてきて、ぴんと張った竹どもを、順番に揺らして藪を波立たせながら、山から下界に降りて行った。
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