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町は、泣きたいくらいに静かだった。
そびえ立つビルの間から満天の星空を見上げ、私は迷子になったかのような気分に陥った。辺りに人の気配は無く、ただただ、静寂と、冷たい空気に包まれている。
それはそうだ。ここは人が存在していない、誰もから切り離された時間なんだから。
“時”を選ぶとき、ほとんどの人が夜を切り捨てる。
そのため、いつしか夜という存在は、人々に忘れ去られたように放棄されていた。
一昔前までは当たり前のように灯りをともしていたらしい街灯も、今ではすっかり見ない。代わりに無数の星の光が皮肉に輝いて、世界をぼんやりと照らしている。
私は昼の騒々しさとは打って変わって静謐な町を、ゆっくりと歩く。足音がやけに耳にさわる。私は立ち止まり、小さく息を吐き出した。
息は白く染まり、冬の空気に溶けていく。それを見ていたら、なんだか急に寒くなってきた気がして、私は思わず身を縮めた。
萌葱色のマフラーに顔を埋め、分厚いコートのポケットに手を突っ込み、またとぼとぼと歩き出す。寒さのせいなのか、右の足首がヒリヒリと痛い。
やがて辿り着いたのは、薄汚れたブランコと滑り台しかない、小さな公園だった。
私は吸い寄せられるようにブランコに近づき、腰掛ける。そして、思いっ切りこぎ出した。リズムの良い、ブランコのきしむ音が夜の公園に響く。
気が付いたら、夢中でこいでいた。足首の痛みも忘れて、何回も、勢いよくこいでいた。
だから。
「ねえ」
「きゃっ、っ!」
急に声を掛けられた私は、驚きのあまり悲鳴を上げてブランコから落ちそうになった。
なんとか落ちずにブランコを止めると、公園の入り口に一人の人影があることに気付く。
それは、私と同い年ぐらいの少女だった。おかっぱ頭で、羊みたいなモコモコの上着を着て、蛍光ピンクのズボンを履いている。
少し奇抜な格好の彼女は、愛嬌のある笑みを浮かべて、ポカンと呆けたままブランコに座っている私の前に立った。
「わたし、ナナ。あなたの名前は?」
「……ノゾミ」
「わあ!未来を感じる良い名前」
彼女はニコッと笑うと、私の隣のブランコに座った。キッと小さな音が鳴る。
「それにしても、ここで出会うなんて、なんだか運命を感じるね~。ね、ノゾミちゃんはどうして“今”にいるの?」
「……私は、時を捨ててはいけないから」
私は発言をしてから、居心地悪く俯く。ちらりと彼女の表情を窺うと、パチパチと目を瞬かせ、戸惑っているようだった。
私はすぐに目を逸らし、足元の靴を見る。
彼女の反応が怖かった。時を渡さないということは、お金を払わないで生活していることと同じ。今は、物心つく前から時を渡して生活しているのだから。自分の生活費用は自分で払う。これがこのご時世の基本。
「もしかして、ノゾミちゃん、良いところのお嬢様なの!?自分で“時”を払わなくても、使用人さんとかが勝手に持ってきてくれるとか?」
彼女から返ってきた言葉に、私は顔を上げる。
予想外の発言と、拍子抜けするほど好意的な声色に、今度は私が戸惑う番だった。
「う、うん、ま、あ……」
思わず曖昧に頷いてしまう。
「へぇ~、すっごいねぇ。もしかして、ブランコも初めて?」
彼女は心底感心したようで、ほおっと感嘆のため息を吐いた。それから、興味津々に問い掛けてくる。
私は色々と複雑な気持ちで目を泳がせながら、ぼそぼそと答えた。
「え、うん、そうだけど……。よく分かったね」
「わぁぁ~!正真正銘の箱入りお嬢様なんだねぇ。だから、あんなに楽しそうに遊んでいたんだ」
彼女は目を輝かせながら納得した。
気まずくなった私は、ブランコの上で足を揺らしながら彼女に問う。
「ナナさんは、どうして“今”に?」
彼女は急に黙り込んだ。ブランコを小さく揺らしている姿が悲しげで、苦しげに見えるのは、やはり、辺りが暗いせいだろうか。
私が話を変えようと思考を巡らせたとき、彼女が真っ直ぐとこちらを見据えて口を開いた。
「わたしはね、夜を捨てたくなかったの」
彼女は落ち着いた声で、ぽつりと答える。凪いだ瞳に、凪いだ声。静かなのに、言葉は私に真っ直ぐ届く。
「夜って、昼と同じぐらい大切な時間なのに、捨てられて、忘れられそうでしょう?星も、空気も、こんなに綺麗なのに。だから、せめて、わたしだけは夜を大切に過ごそうと思って」
「そっ、か……」
私は小さく相づちを打った。どんな言葉も彼女の思いには釣り合わない気がした。
「まっ、ノゾミちゃんもいるって分かったから、わたしだけではないけどね。ふふっ、わたしたち、特別だよ!」
彼女は先程とは打って変わって、明るい声と表情に戻ると、楽しそうに私に笑いかけた。私はその差について行けなくて、少し引きつった笑みを返した。
彼女はさっきまでの暗い空気を振り払うように、ブランコを力いっぱいこぎ始める。夜の空気が揺れるのを、私も肌に感じる。
「そういえば、さっ、」
ギュンッと彼女の体が前に高く上がる。
私はそんな彼女の動きを目で追いながら、話を聞いた。
「ノゾミちゃんの夢ってなあに?」
「へ?夢?私の?」
私が聞き返すと、彼女はブランコの揺れる勢いのまま、そこから飛び降りる。一瞬ヒヤッとしたけど、彼女は危なげなく綺麗に着地した。
「そ、夢」
彼女はくるりと振り返って、私を見る。
「そうだねぇ……。夢、かぁ……」
私は、夜空で穢れなく輝く星々を見上げながら考える。星たちはそれぞれ真っ直ぐに、遮られることなく私たちに光を届けている。
私は眩しいものを見るように目を細めた。
「鳥になりたい、かな」
自然と口から出たのは、そんな現実感の無いものだった。私は自嘲めいた笑みを浮かべる。
「そっか~、鳥、いいね!やっぱり、空を飛ぶのって気持ち良さそうだよね~」
それでも、彼女は私のことを否定せずに、ニコニコと太陽のように笑った。
私は少し俯く。独り言のように言葉を紡ぐ。
「私も、重い物なんて持たずに、身軽な体で、自由気ままに空を飛び回りたいな」
「素敵な夢だね~。わたしはね」
彼女は舞台女優のように堂々とした出で立ちでやや大げさに両手を広げる。星明かりが、まるでスポットライトのように見えた。
「世界を、ちゃんと元に戻したいんだ」
「元に?」
「うん」
彼女は手を下げ、まるで演説のように語り始める。
「まず、どうして世界が終わりそうになっているのか、原因を突き止めたい。それで、しっかりと根本から直したいの」
彼女の言葉一言一言に、私は殴られているような感覚になった。鉛を飲み込んだように体が重くなる。
「そ、うなんだ。……じゃあ、やっぱりナナさんも予知能力者にもっと詳しいことを予知してほしいの?」
「う~ん、どちらかというと……予知能力者の人とはお友達になりたいかな!」
「お、お友達?」
「そう!」
彼女のワクワクと楽しそうな表情に、私はポカンと口を開ける。
「わたしね、予知能力者の人も夜に似ていると思うの」
彼女はブランコの上に戻り、悲しげに微笑む。
「だって、その人が予言をしてくれたからこそわたしたちは危機に立ち向かえたのにさ、今となっては平穏の裏に忘れ去られているんだよ」
私は唇を噛む。
「それにね、文献によると、予知能力者の予言って、突然頭に思い浮かぶんだって!ご飯食べてるときでも、寝ているときでも、お風呂に入っているときでも、突然。だから、お願いしてもその人にプレッシャーかけちゃうだけだから」
「……優しいね、ナナさんは」
私は言葉を絞り出した。
彼女は温かく微笑んで、ゆるゆると首を横に振る。
「当たり前のことのはずなんだよ。けれどさ、みんないつの間にか忘れてた。本当ならちゃんと予言してくれたことに感謝しないとなのに」
彼女は悔しそうに顔を歪めた。本当に優しい。まるで夜を包むように照らす星明かりのような綺麗な優しさ。
「だからさ、わたしは、その人にあったら、まず、お礼を言うの。それで、仲の良い友達になって、たくさん話すの。世間話とか、綺麗なものについてとか、たまに予言のこととか。それで、傷つけられていたら、守ってあげるんだ」
ね、楽しそうで良いでしょう?彼女がそう言って、またあの、輝くような笑みを浮かべた、ような気がした。
視界がぼやける。
「あ、あれ?ノゾミちゃん?泣いてるの?」
慌てた様子の彼女が、ブランコから立ち上がっているのが、目に溜まった涙越しに見える。
私は懸命に口角を上げた。今までで一番良い笑顔を作れるように。もしかしたら、とてつもなく酷い顔になっているかもしれないけれど。
だって、一番の感謝を込めたいから。
「ありがと……ありがとう……!」
私の瞳から、一粒の雫が零れ落ちた。
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