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 『美術室』と書かれた部屋の中に入る。  教室を二つか三つ分をぶち抜いたような広い空間だ。屋外に比べたら人の数はぐんと少なくなったけど、美術品の展示は色とりどりでとても賑やかだった。  その中でもひときわ大きい人型のマネキンみたいな展示の前で、シュウさんが立ち止まる。 「これですね、ポール・ナッツを使った作品」 「うわ……!」  私の目に入ってきたのは、アイスを入れるカップを大量に使って、人を模したアートだった。しかも、イブニングドレスの美女。あらかじめ言われなければ、これがポール・ナッツのカップだったなんてわからないほどだ。目を凝らしてみると所々に、フタに描かれているバニラの葉やストロベリーの絵が潜んでいる。 「すごい才能……どうやったらこんなの思いつくんだろう」  私だったら百年かかっても同じ発想には至れないだろうな。  しばらく展示に見入っていた私は、シュウさんが別の美術展示を食い入るように眺めているのを発見した。  白黒に書かれた絵で、ビルの屋上の四隅にエスカレーターが置かれている。まるで四角い螺旋階段みたいだ。  ん……だけどこれ、螺旋階段みたいなのに、エスカレーターは上がっているようにも、下がっているようにも見える。  エスカレーターの上には疲れ顔のサラリーマンとOLがいた。一度そのエスカレーターに乗ってしまったら、同じ場所をぐるぐると回って永遠にたどり着けないような構図だ。 「不思議な絵……ちょっと怖いな。シュールっていうか」  絵のタイトルは『エッシャーのエスカレーター』と書かれていた。 「オランダにエッシャーという有名な画家がいました。彼はだまし絵、つまり人間の『錯視』を利用した絵を描く画家だったんですが」  と、シュウさんが話し出した。 「有名なのは『上昇と下降』という階段の絵ですね。それをパロディにしてエスカレーターにしたんでしょう。この会社員たちの疲れた顔がなんとも言えない。風刺も含んでいるんでしょうか。身につまされてとても面白いです」  まさに会社員であるシュウさんは苦笑しながら、そう締めくくった。 「シュウさんって、物知りですね」 「いえいえ。たまたまこの絵に数学が絡んでいたってだけです。この登っているようにも降りているようにも見える階段は、もともと有名な数学者が作った図形でしてね。ロジャー・ペンローズという名の、2020年にはノーベル賞も取っているたいへん有名な方が作ったんですよ」 「え!? 絵にノーベル賞の数学者の図形!?」 「これは『不可能図形』といって、現実には存在し得ない立体物なのに、錯視によってあたかも実在するかのような平面図形なんです」  一息に言ってしまうと、シュウさんは私に顔を向けて深く笑った。 「ロジャー・ペンローズは私が最も尊敬している数学者でして、だからこの絵に関して知ったかぶりをできたというだけなんです」 「すごい……」 「大したことではないんですよ。数学に関わっている人なら誰でも知っている神みたいな人ですから。私は建築デザイン関連の仕事をしていますし、エッシャーもペンローズも知らないと、むしろ話にならないというか」  ちょ、ちょっと待って!? 「シュウさんって、建築デザインの仕事をしてるんですか!? え、すごい!」 「あれ、言ってませんでしたっけ」 「聞いてないですよ!」  だって、普段はコンビニのレジでしかやりとりしていないんだから!
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