焼夷弾の雨のあとに

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「空襲だ!」  誰かの声がした。またドォンという音がして、町の向こうに火の手が見えた。 「母ぁ!!」  私が母ぁを追いかけようとすると誰かに肩を掴まれた。 「今行っちゃ危険だ! 塀に隠れるんだよ」  ばぁは恐ろしいほどの力で私を抱える。そのまま庭の塀に隠れて腰を下ろした。  戦闘機も怖いがばぁも怖い。ばぁは私の腕を力いっぱい握っている。 「焼夷弾だよ。町は焼かれるね。あれでいくつも町が駄目になったって話だ」 「母ぁは!? 母ぁは大丈夫なの!?」 「知らんな。生きてりゃ会える。死んだら会えん。それだけのことだ」  焼夷弾の落ちる音。戦闘機の音。町が焼ける音。人の叫び声に泣き声。  ドォン。私の家にも焼夷弾が落ちて焼けていく。 「家が……」 「動くんじゃない!」  ばぁはまた力いっぱいに私の腕を握る。きっと痣になる。ばぁに掴まれたまま、私は生まれ育った家が焼けていくのが見える。空襲はまだ終わらない。  ばぁは空を睨む。 「頃合いかね。岬、あんたにゃ話してなかったがあんたの父親はもう死んでいる。いつ話そうかと思ってたが、あんたが知らずに死んじまったなら伝えることもできないからね。ばぁも生き抜けられる自信がねぇでな」  私はばぁに縋りつきカタカタと震える。 「父ぅとはもうずっと会ってないから母ぁがいればいい……」  強がりだ。泣きたくて仕方ないのに、今はそれすら許されない。  相変わらず戦闘機は空を飛ぶ。こんな塀に隠れていたって死ぬときは死ぬんだ。死んだら父ぅに会えるのだろうか。  どのくらいの時間、そこにいただろう。その間、ばぁはずっと私の腕を握っていた。戦闘機の音が消えたのは、日が暮れ始めてからだ。  ばぁを空を睨めてから私の腕を離した。私はすぐに袖を捲る。そこは痣になっていた。 「ばぁなんか嫌い! 母ぁ母ぁ!!」  私は母ぁを追いかけて道に出る。防空壕まで走ろうと思ったが、ものの五分も立たぬうちにその歩みを止めた。  道の真ん中に頭が消えた遺体。その横に物言わぬ赤子。見間違うはずもない。母ぁと茂だ。頭を吹き飛ばされた母ぁと口を開かぬ茂。  ただ黙って立ち尽くした。何も言えずに俯いていた。町は当たり前に焼けて、人々は火消しに躍起になっている。道の真ん中で死んだ母ぁと茂に誰も声をかけない。 「岬、帰るんだよ」  また肩を恐ろしいほどの力で掴まれた。  ばぁだ。ばぁだけど。私は動かない。まるで私の世界が終わったかのように静かだ。父ぅは死んだ。母ぁも死んだ。茂も死んだ。 「岬!」  ばぁの平手打ちが私の頬に届く。  誰もいないこんな静かな世界などなくなればいい。ばぁも私もなくなればいい。 「ばぁなんか嫌いだ! 死んじゃえ! 私は一人で生きるんだ!」  思い切り叫ぶと涙が溢れた。ばぁは黙って私を見て、その後ろの母ぁと茂の遺体を見る。  ばぁは膝をつき私の両手を取る。 「ばぁに死んでほしかったら、あんたが殺しな。こうやって」  ばぁは私の両手をばぁの首に当てる。 「ほら、締めな! 嫌いなばぁに死んでほしかったら力入れな!」  私の膝はガタガタと震える。ばぁの目は真っ直ぐに私を見る。 「早くしな!」  ばぁは本気だ。私は涙を零してふるふると頭を振った。 「やだ……。できない……。できないよぉ……。ごめんなさい……」  ばぁはゆっくりと私の手を下ろす。 「岬がばぁのことを嫌いでも岬に家族はばぁしか残されておらんのじゃ、ばぁには岬しか家族は残されておらんのじゃ。生きていくには一緒におるしかないんじゃよ」
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