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4.マスクとマスクの次の距離
「濃い!」
想像していたよりずっと彫りの深い顔が、全部晒されている。ふんわりくまさんのイメージだったのに、キリッと野性味がある。やっぱり熊みたいだけど。
「わ、ごめん、味濃かった?」
慌てて自分の大根を確認する不破くん。齧りつく唇は予想より厚くて、ぽってりと濡れている。
「ダイジョーブ、ダイジョーブ、オイシイデス」
ドキリとして目が離せなまま、言葉が口から勝手に零れる。
フッと彼の口角が上がった。
「亜藍くんの顔、思ってた通りだったよ。可愛い。あ、赤くなった!」
平凡腐男子に対して、殺傷力が高すぎる。目線が外せない。僕は唐揚げを箸でぶっ刺して、モグモグし始める。自分でも意味がわからない。
「もう、しょうがないなぁ」
不破くんは個包装マスクを取り出し、ペリペリ袋を破って装着した。ペットボトルを一本持って、僕の席の前に立つ。
「はい」
お茶を渡されて、無抵抗に飲む。喉仏が動くのをジッと見られている。
「ね、亜藍くん……好きです」
えっと思う間もなく、マスクが口に当たる。不破くんの、マスクが、僕の、唇に!
なに、今の、何?
「毎日笑顔が見たい。幸せにしたい」
「僕……男だよ」
「わかってる。モデルの元彼がいたんだよね?」
LUNAは有名人だけれど、幼馴染の一般男性とのお付き合いは隠さなかった。知る人なら当然知っているはず。
「ああ、もっと……一ヶ月ぐらい様子見、するつもりだったのになぁ……」
上半分しか見えなくても、困り顔しているのはわかる。
「このまま……同クラの友達だと、距離、縮めようがない、よな……」
大きな手のひらが、僕の頭をポンポンし、左肩をギュッと掴む。
「俺とのこと、ちょっと考えて欲しい。急がなくていいから」
夢みたいだ。嬉しい。気になる人が、僕を好きだと言う。身体がポッと熱くなる。
でも、このご時世に、新たに接触を増やしていいのかな? じーちゃんばーちゃんとか。親とか、患者さんとか……
自分の唇を指でそっと擦る。確かにキスだった。不破くんのマスク越しで、彼の唇の感触は全然わからなかった。でも!
夕暮れは鮮やかだ。花壇に咲き誇る秋薔薇が、微風に揺れている。目の前に、優しく見守ってくれる大きな人。
行動規制も緩和されてきたし、僕も気持ちを我慢しなくていいのかな……
僕も予備の新品マスクを着ける。無言で立ち上がる。びっくりしている不破くんの胸ぐらを両手で掴む。
マスクとマスクを重ねてみる。
そろそろ、僕も、次の距離。
【一章・終】
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