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苦しげな呼吸をくり返す雷烈を横たえ、すぐに封印術の準備を始める。
息の整え、印を結ぶと、呪文を唱える。
「封印術・天の印」
呪文の共に『天』の文字が輝いて宙に浮かび、雷烈へと吸い込まれていく。これで少しは鬼の力を抑えていけるはずだ。
ところが雷烈は胸元を抑えるように苦しみはじめ、うめき声をあげた。これまでとは違う反応だ。
あえぐ雷烈の髪が赤く光り始め、瞳の色も血の色になりつつある。
(鬼化が進んでいる……。鬼の力が封印できてないの?)
「ああっ!」
雷烈は星に救いを求めるように、その手を伸ばした。咄嗟に星は雷烈の手を掴む。
「陛下、お辛いなら封印術は中止しましょうか?」
あまりの苦しみように、星はもはや見ていられなかった。手が震えて、印が結べない。
「かまわぬ。続けよ。これしきの痛み、耐えてみせるといったろう……」
「ですが私では、封印術の使い手として未熟なのかもしれません。もうこれ以上は」
「かまわない。星ならば、オレは何をされてもかまわん。おまえを信じている……」
「私を信じる……? 庸国の皇帝である雷烈様が?」
「星だけなのだ。オレの本当の姿を見せられるのは……だから」
鬼化しそうになっても必死におのれと戦い、苦しみに耐えながら、未熟な星を励ます。
(この方は、なんてすごい方なのだろう。私を信じるといってくれた雷烈様のために……!)
自らを奮い立たせた星は霊符をとりだし、印を結ぶ。霊符を手にしたまま、雷烈の体に直接霊符を貼り付ける。
「天の印・封!」
雷烈の体は異常なほど熱く、星の手も火傷しそうなほどだ。だがどれだけ痛くとも、星は雷烈の体から霊符を離さなかった。
「耐えてください、雷烈様。私が必ず鬼の力を封じてみせます!」
鬼の力を封じたい星と、鬼の力を内側に押し留めたい雷烈。二人の思いがひとつとなり、鬼化という暴走を食い止める。
ほどなくして、雷烈の吐息は少しずつ落ち着き、痛みも消えていったようだ。
「よかった……」
霊符がはらりと地に落ちる。鬼の力の封印に成功したのだ。
(でもこれもまた鬼の力の一部だわ。これからも封印していかないと)
星が霊符を拾い上げ、ほっと息をつく。
「雷烈様、大丈夫ですか?」
雷烈はかすかに笑い、星に向けて手を伸ばす。体を起こしてほしいという意味かと思った星は、雷烈の手を握りしめた。
すると雷烈は星を自分のほうに引き寄せ、抱きしめたのだ。突然のことに、星は雷烈のたくましい胸元に顔をうずめる形となった。
「ら、雷烈様!?」
「ありがとう、星。悪いが、しばしこのままでいてくれ。少しだけ休みたい。おまえがいてくれると、よくねむれる……」
必死に鬼の力と戦い、疲れ果てたのだろう。すやすやと軽やかな寝息をたてながら、雷烈は眠ってしまった。
「雷烈様……」
雷烈に抱かれたまま共に横たわる星。耳をすませば、雷烈の鼓動が伝わってくる。雷烈が確かに生きているのだとわかり、星はたまらなく嬉しかった。
(ああ、私はこの方のことが、雷烈様が好き……)
これまで気づかないふりをしていただけだった。
悲しき過去をもつ星の心を理解し、受けとめてくれたただひとりのお方。
皇帝としての才覚と覚悟をもち、どんな苦しみにも耐え抜く強い人。
(私、これからも雷烈様のそばにいられたら……。でも雷烈様は庸国の皇帝。身分も国も何もかも違いすぎる。それに私には優の仇を討つという目的がある……)
好きな人のそばにいたい。ずっと支えてあげたい。
だがそれは叶わぬ夢のように思えた。
星は雷烈の腕からそっと抜け出ると、整った容姿を見つめた。
「冷やした手巾をもってきますね。汗をかいておられますから」
雷烈に抱かれたままであることが辛くなった星は、声をかけてから水を求めて外に出た。
「えっと、お水はどこにあるのかしら。後宮内を歩き回るわけにもいかないし」
周囲を見渡したが、それらしい水場がわからない。誰かに聞く必要があるのかもしれない。
「水なら、わたくしの宮殿にあってよ」
突如、背後から星に声をかける者がいた。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは栄貴妃だった。
つい先程まで人の気配は感じなかったはずなのに。
「あなた、陛下に何をしていたのかしら。一度、事情を聞かなくてはねぇ……? わたくしの宮殿にいらっしゃい。丁重に、もてなしてあげてよ?」
栄貴妃の背後には、屈強な宦官たちの気配を感じる。逃げられるとは思えなかった。
(雷烈様に迷惑はかけたくない。私だけで解決しますので、お待ちくださいね)
雷烈を守りたい。たとえ自分の思いが成就することはなくとも。
「わかりました。御一緒させていただきます」
この日より、和国より来た陰陽師、天御門星は消息を絶った。
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