第十二章② 流れる血

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第十二章② 流れる血

「行くぞ」  壱也から庇うように、秋穂を先に歩かせる。冬馬はテーブルの上にある秋穂の鞄を持ち、ポールスタンドにかかっているコートを手に取る。コートは前を歩く秋穂の背にかけた。  足早に玄関に向かう背を冬馬は追う。しかし、数歩歩いて何かしらの気配を感じ取り、立ち止まった。振り返ってハッする。暫く立ち上がれないだろうと思っていた壱也が、突進して来る。 「あきほっ」  冬馬は咄嗟に秋穂を突き飛ばし、自分は身を翻した。しかし完全に避けきることができず、脇にぶつかられバランスを崩した。膝を突いた一瞬の隙に、飛びかかられる。その手には何処かに隠し持っていたらしい、折り畳み式のナイフが握られていた。  突き飛ばされた秋穂が起き上がった時、冬馬は仰向けで壱也に乗られている状態だった。その体勢で、ナイフを振り下ろそうとする相手の手首を掴んで止めいる。  揉み合いながら、少しずつ床を這う。それに沿って、ホワイトオークの廊下に赤いものが付着していった。 ( 血……? )  どちらかが怪我をしているようだ。考えたくはないが、冬馬が刺されたのではないか?心なしか顔色も悪い。 「義兄さん、やめてっ」  引き離そうするが、秋穂の力ではびくともしない。それどころか、激しく揉み合う背に当たって、吹き飛ばされてしまう。 「邪魔をするなっ」  冬馬と秋穂、どちらに言っているのか。 「こいつは、俺のだ。お前になんか、渡さない。石蕗(うち)に来た時から、こいつは俺のものなんだっ」  言葉も行動も常軌を逸している。もし本当に冬馬が怪我をしているのなら、このままではいずれ力尽きてしまう。  吹き飛ばされた秋穂はリビングの扉の前にいた。扉は開いたままで、そこからポールスタンドが見えた。その瞬間、迷うことなくそれを掴んで、壱也めがけて振り下ろした。  ガツンという音と、ぎゃっに近い言葉に表せない叫びが上がった。長いポールスタンドは壱也の頭や肩を強打した。弾みでナイフが落ちる。  自分の行動に驚いた秋穂は、ポールスタンドを落とし立ち尽くす。 「秋穂、逃げろっ」  その声にハッとしたが、すぐ反応できない。眼の前に、もう既に立ち上がり血を滴らせた壱也の顔があった。仰向けに倒され、再び首を絞められる。ゆっくり力を増していった先程とは違い、いきなり強く締めつけられた。 「渡さないっ。誰にも」  その眼は狂気でぎらついている。  秋穂自身はその手を外そうと懸命になっているつもりが、実際には弱々しく足掻いているだけで、傷すらできない。気が遠くなっていくなかで、何かが壱也にぶつかる衝撃が秋穂にも伝わってきた。  ふっと、首の圧迫感も身体の上の重みもなくなった。すぐ横から呻き声が聞こえてくる。仰向けのまま視線だけ巡らすと、自分の両手を凝視している冬馬がいた。 「冬馬……?」  彼は何も答えない。  呼吸を整え、ゆっくりと上体を起こすと、床に転がっている壱也が見えた。彼は身体をくの字に曲げ、苦しげに呻いている。その背には先程彼が落としたナイフが刺さっている。 「と……うまぁーっっ!!」  茫然としたままの彼の足に縋りつく。 「アキ……?」  やっと眼が合う。我に返って壱也を見遣る。彼に近寄ろうとするような素振りを見せたが、そのまま留まった。 「行こう」  秋穂を立ち上がらせ、玄関に向かう。 「えっ、冬馬」  壱也をこのままにして行くのか ── 冬馬の行動に困惑し何度も立ち止まりながらも、彼に押し出されるような形で部屋を出て行った。
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