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1話
飛び降りちゃおっかな、なんて考えていた。
放課後、夕方、ブラッドオレンジの空。晴れの日はこっそり学校の屋上に入り込んで空を見つめる。生徒たちを追い出す音が流れても、巡回の警備員さんに気付かれるまではずっと。
青色の空がオレンジ色になって、それがまた闇に溶け込むのを眺めているのが好きだった。そこに私の存在なんてなにひとつ干渉していないから。いてもいなくても、見ていても見ていなくても何も変わらないから。
今日は朝から誰とも話したくない気分だった。
授業は全部居眠りをしてやり過ごし、お昼休みはイヤホンで世界をシャットアウトして、余計な声を聞かないようにした。警備員さんとも言葉を交わしたくないから今日は見つかる前に帰ろう、そう思って立ち上がり、隣に置いていた鞄を持ち上げようとして、
鞄の中が光った。
「わ、っ?!」
思わず鞄をどさりと落とす。落としたはずだ。なのに、光は重力に従わずぷかぷかと宙を浮いている。
「まぶし、なに……?」
『むう…ちゃん…』
名前を呼ばれた。高すぎず低くもない、中性的な声。
『むう、ちゃん……むうちゃん』
何度も声をかけられる。不思議と嫌ではなかった。むしろ、聞いていると安心する。さっきまであんなに誰とも喋りたくなかったのに。
「なに、だれ……?」
『ぼく……ぼくだよ、ぼく!』
オレオレ詐欺か?と言いたくなるが、声は光の方から聞こえる。徐々に光が弱まっていき、そこに浮いていたのは、私が鞄に付けていたひよこのぬいぐるみーーー『ピィ』だった。
「……え、ピィ…?」
まあるい黄色のカラダに、つやつやレジンの瞳。背中には大きな赤いリボンが、羽のようにパタパタなびいている。
『むうちゃん!ぼくのこえ、きこえる?』
「う、うん……聞こえる、けど……」
ふっと両手をピィの下に持っていくと、ピィはなんのためらいもなくそこに着地した。
『むうちゃん、あのね、たいへんなの!』
「た、大変……?」
『うん、ぼくたちのせかいが、たいへんなの!たすけられるのは、むうちゃんしかいないの!』
私の手の上で、もふもふぴいぴい動くぬいぐるみ。正直めちゃくちゃかわいい。最高。なんで喋れるようになってるのかは意味わかんないけど、毎日学校連れてきててよかったなあ……
『だからね、むうちゃんには、ぼくらのせかいにきてほしいの!』
「ぼくらのせかい……?」
『そう!まほうかい!』
「まほうかい……魔法界?」
ピィはふあふあのカラダを精いっぱい折りたたんでいる。たぶんお辞儀をしようとしているらしい。かわいすぎる。
『おねがい、むうちゃん!ぼくといっしょに、まほうかいをたすけて!』
「……いーけど、何したらいーの?」
『ほあっ、いいの?!そんなすぐきめちゃっていいの?!』
「いーよ」
どうせ帰ってもやることないし。私なんかが魔法界とやらをほんとに救えるなら、やってみてもいっかな、なんて。
今とは違う場所に逃げたい。この誘いが嘘であってもいい。一瞬だけでも、夢を見られるのなら……
『じゃあ、このコンパクトもって』
「あい」
その小さなカラダのどこにコンパクト隠してたの?とかは考えてはいけない。
ペールピンクのまあるいコンパクト。中央にはきらきら輝くハートの宝石、その周りには5つの丸い宝石がハートを守るようにあしらわれている。ハートの下には天使の羽があって、とてもかわいらしいデザインだ。
『まほうかいのトビラをひらくじゅもんをとなえながら、ここからとびおりるの』
「飛び降り……?死なない?絶対死ぬよね?」
『だいじょうぶ!きちんとじゅもんがとなえられたら、まほうかいにワープするから!』
「ほお……」
まあどうでもいい命だし。最後に騙されてみるのも、悪くないかな。
「荷物は置いてっていい?」
『いいよ!いるものがあるなら、もってってもいいよ!』
「そのへんゆるいんだね……」
人間界のもの持ち込み禁止とかないんか。などと思いながらぼんやりと鞄を漁る。教科書、ノート、お菓子、特にこれと言って持っていくものは…………
「あ」
こつ、とそれが指に当たる。
「じゃあ、これだけ」
手に取り、飛び降りても落ちないようにスカートのポケットに入れた。ハートの形をした小さなピアスケースだ。中にはお気に入りのピアスが少しだけ入っている。
『ピアスケース!むうちゃんのおきにいりだもんね』
「ん。特別気に入ってるのは持ち歩いてるから」
『うん!いつもいっしょにいたから、しってるよ!』
「そーだよね。よし、あとは持ってきたいものはないかな」
『わかった!それじゃ、いこう!』
ピィを肩に乗せて、屋上の柵を越える。なんとなく靴は脱いで柵の前に揃えて置いた。なんかこうするのが定番っぽいよね。
「上手くいくのかな……」
『だいじょうぶ!ぼくをしんじて!』
「うーん……うん、よし」
覚悟を決めて、勢いをつけて飛び降りた。
真っ逆さまになりながら空にパクトをかざして、さっき教えられた呪文を唱える。
「〈夢魔法・封印解錠〉!」
パクトから光が溢れ出す。
さっきピィが出てきた時みたいだ、と思いながら、眩しさに耐えられなくなり目を閉じた。
次に目を開けた時、私は見知らぬ空にいた。
「……は、えっ、お?ここどこ?!」
『むうちゃん!せいこうだよ!まほうかいにこれたんだ!』
横でピィも空中を漂っている。
いや、落ちている。私もピィも。
下には見たことない建物がいっぱい。魔法界とはいえ、地面がマシュマロでできてるわけじゃないだろう。このまま落ちたら、普通に死ぬ!
「ねえこれどっちみち死なない!?大丈夫じゃないよね?!」
『だいじょうぶ!むうちゃん、さっきおしえたもうひとつのじゅもん、となえて!』
「え!?」
『そしたらだいじょうぶになる!はやく!』
何が何だかわけがわからないけど、とりあえず言う通りにしてみるしかないみたいだ。
さっきと同じようにパクトをかざして、さっきとは違う呪文を唱える。
「ええい、〈夢天使・心臓解錠〉!!」
ぶわ、とパクトのハートから光が溢れた。さっきの光とは違う、虹色のリボンみたいな光。
私の身体が光のリボンに包まれる。あったかくて優しい光。心が洗われるみたいな……。
しゅるしゅるとリボンが巻きついて、ぱんと弾ける。私は制服からなんか魔法少女みたいなコスチュームに変身していた。
なぜか身体が勝手にコンパクトを両手で身体の前にかざす。光のリボンとパクトが形を変えて、かわいらしいステッキになった。
「おわあ、なにこれなにこれ!?すごい!なにこれ?!」
『むうちゃん、ステッキを胸の前にかざして〈夢魔法・天使の羽〉っていって!』
「えぁ、ど、〈夢魔法・天使の羽〉!!」
するとステッキの中心にあるパクトがぱあっと光り、私の背中から天使の羽が生えた。
「わあ!!羽だ!!あっ飛べる!」
『ね!だいじょうぶになったでしょ!』
落ちていくピィを慌てて受け止める。出したばかりなのに自由自在に動かせる羽。すごい。せっかくだからゆっくり知らない街を上から見たいなあ。
『むうちゃん、あっちのたてものをめざして!』
「え?あっち……どこ?」
『いちばんたかくて、はねがはえてるおしろ!』
それはすぐに見つけられた。とても目立つ真っ白のお城。ピィの言う通り、お城には天使の羽みたいな飾りがついている。
「あのお城の前に降りればいいの?」
『うん!あそこに、このくにのえらいひとがいるの!』
いきなり空から来たんだし、まず国の偉い人に会うことになるのは定石か。
ピィを右手に、ステッキを左手に、私は天使のお城を目指した。
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