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山桜
末松未知の運転する車は、街や人間の営み、喧噪などからどんどん遠ざかり、山の奥深くへと分け入っていった。
およそ半年前に彼女自身が通った後がまだ残っているかのような、人跡稀な山道だった。
熊やイノシシが現れそうなこんな山奥によくまあ一人で来たものだと、未知は我ながら呆れた。
いくら単独行動と不可思議な物事が好きと言っても、普通ここまで無謀なことはしないだろうが、UFO&オカルト愛好会MUU2(ムーツー)のメンバーだという自負がそうさせるのかもしれない。
しかし今回は単独ではなく、同行者が2人いた。
未知の車の後をピッタリ付いてくる車に乗っている2人、MUU2会員の山路杜人と望月礁がその同行者だった。
山路は60がらみ、白髪混じりの風采の上がらない小男で、対照的に礁は20代半ばの洒落た今どきの青年ぽい外見だった。
礁の母親が異星人とコンタクトしていたという重大な秘密を、その母親の大学の同級生だった山路がたまたま分かち合うこととなり、MUU2の熱心な会員である山路が礁に入会を勧めたという経緯があった。
MUU2で公開された事件や情報は会員同士で共有したが、外部へ漏らすことはご法度とされた。
未知が半年前にこの人里離れた山奥にやって来たのも、MUU2本部から得た情報ーーこの山奥に透明な肌を持つ種族の生き残りが住んでいるーーを検証するためだった。
その種族は肌を紅葉の赤や黄色に染めることができると聞いて、未知は紅葉の美しい秋に訪れたのだった。
その時出会った90過ぎの老婆こそが、肌を紅葉の色に染める一族の生き残り、志保だった。
志保の種族は80年ほど前、ダム建設のために村が水没することになり他所の地へ去って行ったが、村の外れにあって水没を免れた志保の一家の家は、唯一そこに残った。
老婆となった志保は未知が訪れた日の夜、年に一度の禊の時だと言って神の池に入り、未知が見守る中肌を紅葉色に染め、満月にさらわれるように昇天した。
老婆ではなく10代の少女の姿になって。
その満月に照らされた紅葉色の肌は、この世のものとは思えない比類のない美しさで、未知の心に一生消えないほどの鮮明さで焼き付いた。
志保に頼まれて、未知は肌を紅葉の色に染めた志保の姿を写真に収めた。
未知はその体験を「紅葉娘」と題したレポートにまとめ、写真とともにMUU2の機関紙に投稿した。
その反響は大きく、MUU2本部や未知に直接感想を寄せる会員も何人かいたが、その中で山路と礁は未知が年に一度の総会以外で会ったことのある知己であるということで、今回未知に同行する運びとなった。
その背景には、山路の懇願に近い要請があった。
「90過ぎの老婆が満月の下、人里離れた山奥の神の池で天女のような美しい少女に変身する。いやあ、ロマンですねえ。私もそんな紅葉娘伝説の地に行ってみたいです!」
礁の運転する車で張り切って出発した山路は、山奥に入るにしたがって不安な表情になり、「ここはけもの道ですよ。熊が出ますよ」と声を震わせたが、途中、山の木々の合間に薄ピンク色の山桜が点在している絶景が出現すると「どうせなら紅葉の頃がよかったですね」と言ったことなどコロッと忘れて、大はしゃぎした。
運転に集中していた礁も、前を走る未知の車を見失わない程度に速度を落として、山桜の風景に目をやった。
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