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その次の朝、志保は走って池の神の祠に行き、そこで待っていたシンジに今日は時間がないと告げ、その代わり今夜は年に一度の禊の日なので夜、神の池に見に来てくれないかと付け加えた。
そう、その夜は満月で、神の池で禊の儀式が行われるはずだった。
神の池は普段は柵で囲っていたが、年に一度の禊の時には柵は取り払われた。
満月が昇り始める頃両親と神の池に赴いた志保は、一番初めに池に入った。
赤や黄の落ち葉を一面に浮かべた水面を志保の体が割ると、まるで池の神が目覚めたように池の表にさざ波が立った。
そして月の光が集中して照らす中、志保の透明の肌はみるみる紅葉の色に染まっていった。
それは魔の領域に踏み込んだと錯覚するほどの、この世のものとは思えない美しさだった。
志保は天女のポーズをとるかのように月の両手を差し伸べながら、闇のどこか、木々の背後からシンジが見つめていることを願った。
その翌朝、池の神の祠のそばにシンジは現れなかった。崩れかけた納屋の仲も探したが、シンジのいた形跡すらなかった。
志保はもう二度とシンジに会えないことを、瞬時に悟った。
父が出て行けと脅したのか、あるいは志保の禊の姿を見て魔物だと怖れをなしたのか。
いや、元から彼はここに長くいないつもりだった、突然去ったのも彼らしい去り方なのだろう。志保はそう思うことで、自分を宥めた。
池の神の祠に供え物を置いた志保は、そこに1枚の画用紙があることに気付いた。手に取ると、そこには色鉛筆できれいに彩色された「紅葉娘」が描かれていた。
その絵には、彼の志保への賛美、憐憫、好意と言った感情が雄弁に込められていた。
志保はそれを他のシンジのスケッチとともに宝物として桐の箱にしまい、長い年月大切に保存した。
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