第一章 人生で一番、後悔してることはなんですか

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 厨房に入っていった店主を鏡花は目で追いかけた。  店主は冷蔵庫から、ぷりぷりのえびと肉厚の椎茸、弾力のあるかまぼこを取り出し、慣れた手つきでカットしていく。  続いて卵を取り出し、ボウルの中でしゃかしゃかと混ぜた。黄金色に染まったことをたしかめては白だしを適量、塩と砂糖をひとつまみずつ入れ、手のひらサイズの黒い陶器に流した。  あれはどこのだろう。瀬戸焼に似たような器があった気がする。最後にバーナーで気泡を消しては蒸し器に投入。一連の動作に無駄がなく、日頃からこうして厨房に立っていることがうかがえた。 「おまたせしました」  しばらく待つと、ふわりと出汁のいい香りが鼻腔をくすぐった。  茶碗蒸し、と思わず口をついて出る。 「ええ、これならするんと入っていくかと思いまして」 「あ、あの……わたし」  なんでここにいるんでしょう、という問いが喉まで出た。このタイミングで聞く話ではない。鏡花の心境を察するように、わかっています、と店主がうなずく。 「温かいうちにどうぞ」  おだやかで、嫌味のない声音だった。  途端に、食欲が押し寄せる。 「……いただきます」  陶器と同じ色の匙を手にすると、まずは卵だけ掬った。おそるおそるであるものの口に入れた。と、その瞬間。 「おいしい……」  噛みしめるように、鏡花はひとくち目を飲み込んだ。  なめらかな口溶け。卵の生臭さも感じない。つるんと溶けたそれをまた求めるように、どんどん放り込む。 「おいしい、おいしいです」  なぜかわからない。ただ、涙が出るようなおいしさだった。  ぼろぼろと人前で泣くなんて、いつぶりだろう。それさえも記憶が朧気だというのに、どうしてもこの茶碗蒸しが手放せない。 「ごはんは、体も心も満たしてくれるエネルギーですから」  店主の声に、こくこくと何度もうなずく。
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