子どもとの記憶(回顧録)

3/6
前へ
/19ページ
次へ
 私はあの老婆の言葉が頭から離れなかった。私の祖母の優しい笑顔が何度も蘇った。あの頃のことを何度も思い出しては祖母は私のことなど知らなくて、ただ優しく接してくれていた事実を探そうとした。しかし思い出の中の祖母の姿と、今日の老婆の姿は重なって離れなかった。  その時から、私は息子の前で声を出すことすら止めた。すべてを身振り手振りと表情で教えた。カレンダーを剥がし、本棚を空にして、代わりに花を飾った。  そうして息子は、乳離れをするであろう年になり、嬉しければ笑い、嫌なことがあれば怒り、悲しければ泣き、何かを見つけては楽しそうに指さして教えてくれた。声を聞くことはなかった。  しかし、それでも子どもの好奇心や知識への渇望は凄まじく、電信柱で見かけた文字を指でなぞり、私を指さしながら「ああ」と音を発した。どこでその音を覚えたのだろう。次第に私は息子を家に閉じこめるようになった。生活に不自由は与えなかった。美味しいご飯を与え、排泄等の手本を示し、身なりは整え、絵と音楽を与え、名前と言葉だけを与えなかった。  それから息子は二歳になった。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加