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老人は突然の告発に驚く事なく、飄々とした表情で私を見つめる。
「まだ、誰かが死んだと思っているのかね?」老人の瞳はどこか冷たい。
「言ったでしょう。現実的じゃないと。全て貴方の幻想ですよ」
「彼女がもしここで殺されたのだとしたらどうですか」老人は僅かに眉を上げる。
「私が見た死体はこの遊歩道で殺されたんです」
もう一度、強く言う。私はある種の確信を得ていた。この人が殺した過程も全て説明できる気がする。
「あり得んよ。死体はこの遊歩道の外、深海にあった。ここで彼女を殺して、一体どうやってそこまで死体を移動させるんだ」
「移動させたのは深海じゃないのでしょう?」
私はあの死体は深海にある物とばかり思っていた。しかし、違った。血痕がある以上、私はもうこの考えしか思いつかない。
「貴方は水槽に死体を移動させたんだ」
老人は口を噤んだ。どうやら私は核心に迫っているらしい。
「この遊歩道には隠された水槽がある筈です。正確な大きさまでは分かりませんが大人がすっぽり入る程の大きさでしょう」
無言を貫く老人に代わって私は順を追って説明する。
「まず、貴方は被害者をここに呼び出し水槽の近くで殺した。おそらく睡眠薬か何かで眠らせて縄で首を絞めた」
私は老人が反論してくるとふんで待ってみたが、一向に口を開かない。仕方なく私は次に話を進める。
「その後貴方は死体を水槽に移す為、脚立を用意した。水槽なのですから上から死体を入れたに違いありません。となると天井に水槽に繋がる隠された蓋がある筈です。これは後でも確認できる」
「どうかね」
戦意喪失していたと思われた老人が途端に喋り始めた。
「仮にそんな隠された水槽があったとしよう。だが、そこに死体を入れる事なんて私には出来んよ」老人は腰に手を置く。
「この通り身体が軟弱でね。そんな重い物、ましてや力の抜けた人間なんて持てんさ」
確かに力の抜けた死体を運搬するのは誰にとっても難しい。けれど、この老人は恐ろしい執念でそれをやって退けたんだ。
「今の疑問はこの血が解決してくれます」私は手のひらについた血を老人に見せつけた。
「貴方の言う通りそののままの状態で死体を運ぶのは困難でしょう。だから貴方は死体を分解して水槽に運んだんです」
老人の顔が真っ青なのは決して気のせいではない。
「切断に使ったのは刀でもチェンソーでも構わない。計画的な犯行だから着替えの服も用意出来た。ここにそれらの道具がないのは何処かに隠しているか、もしくは死体と一緒に水槽の中に入れたんですね」ミスの少なさから相当念入りに計画されていたのだろう。
「唯一、計画通り行かなかったのは私がここに来てしまった事でぐらいでしょう」
そうだ、と老人は呟いた。老人は最後の力を振り絞る獣のようにみるみると身体を起こした。
「そもそもこんな事出来る訳がない。君も言った通り、人がいつ来るかなんて予測できない。ここは確かに廃れたが、人が通らない日などない。死体分解なんて長ったらしい事を堂々と出来はしない。そんな事、不可能だ」
深海についていた光が次々と消えていく。再び暗闇が辺りを満たし、その姿を取り戻した始めた。私もそろそろ終わらせなければならない。
「その事については貴方に説明の義務があるのではないですか」私は一呼吸置いた。
「一体ここは何処なんですか」
老人は全てを悟ったのか、ゆっくりと目を瞑った。何故エレベーターでは音楽が流れていたのにここでは無音なのか。何故今までの間この老人以外、人が降りて来ないのか。無言のままなら私が言おうとしたが、老人はゆっくりと語った。
「私のプライベートルームだよ。ここの建設時に無理を言って作らせた」
私の推測は当たったらしい。そうここは私の本来行くべきだった遊歩道ではない。いうなればもう一つの遊歩道。老人の私物であったらしい。
「エレベータが止まらないのは下にいる客を優先して乗せているからですか?」老人は頷いた。
「エレベーターに誰も乗っていないときに限りここに止まるよう設定しとる」
老人は自嘲気味に微笑むと腰を上げた。まさか、口封じのために私を殺すつもりだろうか。それを察したのか老人はエレベーターの方を指さす。エレベーターいつの間にかその固い扉を開けていた。
「殺したりせんよ。私は一人殺すだけで精いっぱいだ」それにと老人は付け加える。
「どうやら私に殺人は向かないらしい。今になって、もう後悔している」
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