めしあがれ

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めしあがれ

「なんで、なんでなんでなんで!??」  おかしいよ、おかしいよこんなの!!  さっき、この人を見かけたら急にすごくお腹が空いて……、それで今、この人がバラバラになってて? それで、わたしのお腹がいっぱいになってるの──いや、おかしいよね、なんで、なんで? 「あ、あの……大丈夫ですか?」  声をかけて気付く──口許がなんだかべたべたしてる! 手で拭ってみると、手の甲が真っ赤になって────  人食い鬼。  昔聞いた、そんな言葉が頭に響いて。 「う、うわ、わっ、あ、あぁぁぁぁ、」  腰が抜けて、足にも力が入らなくて、でもどうにかここから離れなきゃ。こんな場所にいちゃ駄目だ、おかしなことばかり考えてしまう。ありえないことを想像してしまう。  こんな風になりたかったわけじゃない、こんな形でお腹いっぱいになりたかったわけじゃないのに! 「待って待って、そのまま出ない方がいいよ!」  もう少しで路地から出られそうというところで、後ろから声をかけられる。その声があまりにも気軽で、馴れ馴れしくて。  思わず振り返ったとき、いきなり頭に手を触れられて。 「あたしの肝臓、髪についてたよ」  爽やかにも見える綺麗な笑顔で、つい今さっき地面に散らばっていたはずの女の人が真っ赤なものを摘まみ上げていた。 「かん……、──────」 「あれ、ちょっと? 大丈夫!?」  遠くから声が聞こえたような気がしたけど、返事なんてとてもできなくて────    * * * * * * * 「────っ、」  目が覚めたとき、わたしはベッドの上に寝ていた。そうだよね、あんなの夢だ。わたしが人を食べるなんて、その人が生きて話しかけてくるなんて…… 「あ、起きた? 急に倒れるからびっくりしたよ。大丈夫、頭とか打ってない?」 「はわぁっ!?」  思い浮かべた顔が、ベッド脇の椅子に腰かけて微笑みかけてくる。後ずさりして落ちそうになったところを支えてくれた彼女の手は温かくて、それに確かな感触があって。とてもわたしの夢や妄想とかそういうものとは思えなかった。 「大丈夫、あたし生きてるし。別によくも食べたなとか言うつもりもないからさ」 「え、あの……ほんと、に?」 「覚えてない? あなた、けっこう容赦なく食べてたよ。もう凄かったなぁ……無我夢中って感じ?」 「じゃ、じゃあ、あの、なんで、」  軽い調子で笑う彼女の顔につい忘れていたけど、もし本当にわたしが食べたなら、なんでこの人は生きてるの? 食べられたのに、こんな風に笑ってるなんておかしいし、ありえない。  やっぱり何か変なことになってるんじゃ? もしかして部屋の外から怖い人たちが来たり、ひょっとして親戚の誰かが仕掛けたことだったり…… 「んー……。あのさ、あたしがこれからするのは本当の話なんだけど、信じなくてもいいっちゃいいから、まぁ聞いて」 「あ、はい」  わたしの両頬に手を当てて、「落ち着いて」と添えながら話す彼女の口ぶりに、混乱していた思考が一瞬落ち着く。正直言えば近付いてきたときに少しドキッとしたけど、そんなの言える雰囲気じゃなかったし。それから彼女は少しだけ──ほんの一瞬だけ唇を引き締めて、一拍の呼吸のあと、わたしの目をまっすぐに見て話し始めた。深い青と緑の、とても綺麗な目だった。 「あたし、どこか外国の女神の血筋なんだって。パラバラにされて、その跡から地面が実ったりする系っていうか……。だからあたしも病気とかで死なない限り何されても生き返るし、それどころか殺した相手に恵みをもたらす体質?みたいでさ」  それから語られた彼女──麗亜(れいあ)さんの過去は正直聞くに堪えないもので。想像するだけでも鳥肌が立って、息苦しくなるようなものだった。人の残酷さを凝縮したような、人の醜さが形を持って襲いかかってくるような過去。  そんなことを何でもない顔で話せるようになってしまうまでに、どれくらいの苦痛を通り抜けてきたのだろう? わたしならきっと耐えられない、どこかで潰れてしまいそうだった。 「……で、何回目くらいかな。さすがに耐えらんなくなったから家から逃げて、とにかく逃げて、運よければどこかで死ねるかななんて思いながら歩いてたんだよね。ずいぶん経つけど、あたしけっこう身体丈夫みたいでさ」 「……、」  笑いながら言われても、反応に困る。  それから少しだけ間を置いて、麗亜さんはまたわたしの目を見つめてきた。 「あなた……あー、名前聞いてもいい?」 「あ、い、茨野(いばらの)紗綾(さあや)……です」 「紗綾さんね。紗綾さんさ、もしよかったらあたしと来ない?」 「へ? く、来るって……」 「紗綾さんも訳アリな感じするし」 「訳ありなんて、そんなんじゃなくて」 「なんか、あたしの話聞いてるとき、ずっと安心した顔してたよ。あと、お腹が空いて人食べるのって普通なわけ?」 「うぅ……」  言い逃れのできない言葉の数々に、何も言葉が出てこなくなる。どこかの女神様の血筋とかいうのも信じられるくらいに綺麗な顔で、麗亜さんがまたわたしを正面から見つめてくる。  綺麗だけど、見惚れるくらい綺麗なんだけど!  だからっていきなり旅に出る……ていうか家出するとかそんなのできないっていうか、怖いっていうか……! でも、なんかちょっと想像してみたときに、なんていうかひとりよりはきっと──なんて。  わたしが黙っている理由を勘違いしたのか、「別に食べたのは責めてないからね」と麗亜さんが言葉を続ける。 「むしろ……」  吹き抜ける風は、まだまだ春からは遠くて。  そんな風に拐わせるような声で何かを呟き、一瞬だけ遠い瞳をしたあと、またわたしに笑いかけてくる彼女の手を見たとき、わたしはようやく、麗亜さんの誘いを断りたくない理由がわかった。  たぶん、生まれて初めて。  わたしは今、『ひとりじゃない』って思えてる。  きっと同じことを考えていそうなもうひとりが伸ばしてくる手を拒みたいなんて、どうしても思えなかった。  この手をとったら、きっと今までのわたしではなくなる。そんな予感だけは確かにあったけど。  ひとりじゃないなら、いいのかも知れない。だって、こんな温かさ──お腹の満たされる感覚を知ってしまったら、その前に戻るなんてできない。 「ありがとう」  顔も見られないまま応えたときの声は、本当に安心して嬉しそうに聞こえて。  何もかも先のみえない一歩を踏み出すのに、握り返された手の温もりはとても頼れる足掛かりに感じた。
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