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恋の話
で、恋、してますか?
あ、『恋』って知ってます?
え、『愛』とどういうところが違うんです?
なぜ『恋』をするんです?
いや、『幸せ』に興味はなくても『恋』には興味あるでしょう。
多少は。
あ、はい。すいません。
人間は誰しも恋をするものです。
けれど、もしあなたに会えなければ、こんな思いには至らなかったんじゃないかな?
とかいう歌がありましたけども。
人間は、ですね、いつも、だいたいものごころがつく前から、老化して分かんなくなって徘徊するようになって、亡くなっちゃうその時まで、
当たり前に『恋』をしているものなんです。
言ってしまえば、人間の『生命』は、『恋』で出来ているのです。
過言ではないであります。
なので時には、
「ねぇ、私のこと、愛してる? 愛してる、って、言って?」
とか、聞かれてみたくなります。
もし聞かれたら、何て応えましょう ?
じゃあ、先ず、『愛』の話をしましょう。
『愛』は、大切な誰かを『幸せ』にする『力』です。
『幸せ』というのは『笑顔』で居られることです。
だから『愛』は、大切な誰かを、どうしたら『笑顔』にして上げられるかを考えて、
それを実行できることです。
ここまではいいでしょうか?
で、人間は、おぎゃあと生まれてから死に至るその時まで、『幸せ』になりたいんです。
『幸せ』になるために、自らを大切に思ってくれる誰かから『愛』を受けなければいられません。
あ、だから、赤ちゃんが泣くと、お母さんやお父さん、お婆ちゃんとかが考えます。
この子は何をどうして欲しくて泣いているんだろう?
お腹が空いたのかなぁ、オムツが濡れたのかなぁ。それとも抱っこして欲しいのかなぁ。
ああ、この泣き方はお腹が空いてるんだな、とか、わかっちゃう方も少なくないようで。
で、そのとおりにしてあげると、赤ちゃんは分かりやすく笑ってくれます。
泣き喚いて「俺は不幸だぜぇ!」とだけ主張する赤ちゃんに対して、何を不幸だと思っているのか、何がそんなに不満なのかと考え、試行錯誤を繰り返すお父さんお母さんおばあちゃんの思いから行動の全てが、赤ちゃんに対する『愛』なんです。
『愛』の基本はそれだけです。
さて、こっから『恋』の話になります。
でね、赤ちゃんを笑わせようとするのが『愛』だとするなら、その『愛』を、常日頃から欲しているのが、赤ちゃんの『恋』なんです。
何のことはありません。赤ちゃんは『幸せ』になりたい。つまり、ずっと笑っていたいんです。そのために、『愛』が必要だって分かってるんです。
しかも、『愛』してほしい人物は限定されています。知らない人とか、怖い人とか、お母さんみたいにべろべろバァ〜、ってやられても、笑うどころか激しく泣き叫んだりなんかして。
思春期なんかがやって来て、いわゆる『初恋』とかいうのが始まるとですね、その、好きになった相手からの『愛』を、両親からでも親戚のおじさんからでもなく、その相手に限定して、その人の『愛』だけが欲しくなるんです。
でも、その相手はあなたに『愛』をくれない、とか、あなたじゃない誰かに『恋』をしてるとか。するとあなたは『恋』する相手を失うことになる。それを、『失恋』と呼ぶんですけどね。
けれども、『愛』して欲しかった相手を失っただけで、あなたは相変わらず『幸せ』になりたいし、誰かから『愛』されていたいと思い続けています。
ていうことはつまり、生きている間はずっと『恋』をしている。
つまり、『失恋』は文字通りではない、『恋』は失われない。と考えられるわけです。
なんならいい年こいたご老人になっても、『恋』する様は赤ちゃんの頃とあんまり変わらないんじゃないかとか、思うことが、ないこともないですか?
あ、はい。
では、『恋愛』という言葉で考えてみましょう。
『恋愛』と書いて『こい』と読まされる歌とかドラマとか小説とか漫画とかは色々ありますよね。
何で、『あい』じゃなくて『こい』なんでしょうか?
『愛』はしてないけど、『恋』してることは、強く意識してるから。
ですね。
『恋している』とは、『愛してほしい』ですけど、だいたい『愛』はしないで、『恋』だけしてるんです。だから、『恋』する心はいつまでも満たされず、その不満は憎しみすら呼び起こすのです。『いとしさ余って憎さ百倍』ってやつです。『愛』してないから、憎くなるんです。
じゃあ、何で『愛』はしてないのか、っていえば、ちゃんと教わってないからです。
だって、『愛』なんて『お金』ですよね、とか笑ってる人もいるし、バカなこと考えてないで勉強しなさい! とか怒る人もいるし。
答えを急ぐことはない、いつか君にも分かる時が来るから、とか言って逃げる人もいるし。
そうしてちゃんと答えを見つけ出せないまま時間が過ぎて、今度は自分が聞かれることになる。そしてまた、むかし教わった通りにはぐらかして逃げる。
いつか、分かりますよ。
分かんないって!!
なので、いい加減、ちゃんと知って下さい。
では、定義を、
『愛』とは、自我ならざる他者を笑顔にしたい、乃至、『幸せ』ならしめたいとする、心的情動、乃至、物理的行動の『表徴』である。
以って、
自我ならざる『他者』の心情に於いて『幸せ』を実感、成就した時にのみ『愛』をなしたと証だて得るものである。
『恋』とは、自我ならざる他者に依って笑顔になりたい、乃至、『幸せ』にして欲しい、とする心的欲望、乃至、物理的欲望の『表徴』である。
以って、
他者ならざる『自我』の心情に於いて『幸せ』を実感、成就した時にのみ『恋』が満たされたと証だて得るものである。
こう、見比べて考察すると分かりやすいと思いますが、『恋』は、『幸せ』という結果に行き着く為の『プラス』の要素である『愛』に対して、『マイナス』の要素であると理解すれば良い、と考えられます。
つまり、『恋』とは、『マイナス』の『愛』である。
と考えればいいと思うんですよ。
え、だから、人間と生まれたからには、必ず『恋』をします。
それはつまり、無意識に『人生の目標』に到達しようとしている『証』だと思います。
『人生の目標』は『幸せ』になることです。
『幸せ』というのは『笑顔』でいられることです。
『笑顔』でいるためには、自分でない誰かから『愛』を受けなければなりません。
その『愛』を求める『本能』ともいうべき『情動』が『恋』なんです。
だから、人間と生まれたからには、必ず『恋』をします。
くりかえし。
で、あなたが『恋』をしているのと同じように、あなたではない誰かも、いつも、だいたい一緒にいる人も、ちょっと知ってるだけの人も、全く知らない赤の他人も、
みんな『恋』をしていますが、
誰も彼も全く同じ様には『恋』していません。
何をされると嬉しいか、どんな言葉に感動するか、どんな音楽が好きか、どんな小説が好きか、どんな食べ物をどれぐらい食べたら満足するのか、その人をちゃんと知らないと、
その人を『笑顔』にはできません。その人を『幸せ』になんてできません。
その人を、ちゃんと『愛する』ことなんて、簡単に出来ることじゃないんです。
ほら、よく『性格の不一致』で別れました、とか言うでしょ。
性格なんて、そんな簡単に一致する訳ないでしょ? っつんです。
彼自身はこういう性格で、こういう感じにされるのが好きなのに彼女はそれをしてくれない。
彼女は彼女で、彼女がそういうの嫌いだって、何で彼は分かってくれないんだろう腹が立つ!
とか言い合って。『性格が合わないのよね』とか言っちゃって。
いや、自分の気持ちが第一だってお互いに主張してるだけですよね?
全然『愛』してない。
『愛する』を度外視して、『恋する』を只々主張して罵り合って。そんなんで『幸せ』になれるわけないでしょ?
とかいって。
口先だけで『愛してるよ』とか言われたって、別に『幸せ』じゃないと感じてしまったら、私は『愛されて』なんかいない! って言い返したくなるんです。
あ、私、この人に愛されてるんだ!
って、『笑顔』になれた時、ああっ、し、あ、わ、せ、だぁ〜、って思った時、初めてあなたは『愛された』といえるし、
大切なその人を、幸せだぁ〜、って『笑顔』にできた時、あなたはやっと『愛した』ことになるんです。
だから、「愛してる、って、言って?」
の応えは、
「そ、それほどでもぉ〜」もじもじ。
これですね。
まぁ、振られますけどね。
……あ、『恋』してますね。
それでは、また。
2018/11/29
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