迷っているきみへ

1/1
前へ
/9ページ
次へ

迷っているきみへ

おーっはよーございまぁーーーす ♪ っていう時間に書き始めましたが投稿終わった頃が夜中だったり次の次の日のそんな時間だったらごめんなさい、いやべつにいいじゃないか。 あ、はい。ご無沙汰してました。 エブリスタにお話載っけたりボケてでボケまくったり忙しかったんです。 い、いえそんなことはありませんでしたごめんなさい。 人生には何らかの意義があります。 ……いきなりだなぁ。 君は、何のために生きているんですか? あ、ごめんなさい。 なんだか責めてるみたいな言いようで……。 じゃなくて、 あなたは、あなたの生きる『目的』を訊かれて、即答できますか? ……こうですね。 いや、学校の先生もお父さんもお母さんも、だいたいそんなの教えてくれません。 肝心な処は君が考えるんだよ、とか、そのうち分かるよ、とか。 それは教えたことになってない。 最悪なのは、教えなきゃいけない立場の人が、その大事なことを知らないし、そもそも教わっていない、ってことなんです。 いや、教わったことはあるのかも知れないんですけどね、そんなの絶対違う! って思ったが最後、それから何を教わっても全く意に介さないので教わったことをすっぱり忘れてしまってるかも、とかですね。 さて、どんなことを教わりましたかねぇ。 あなたは、あなたが幸せになる為に生きなさい。 幸せに生きることができてこそ、あなたの人生に意義があったと思えるのです。 とか教わったでしょうか? すると、え、『幸せ』って何ですか? って聞きたくもなります。すると、 いや、そこは君が考えるんだよ。ってその話は打ち切られまして。 うん、そのうち分かりますよね。あっはっはっは。 ーーって、笑えねえよ! はい、迷子になったぁ〜。 幸せになろう、の前に、『幸せ』とは何か、というのを認識出来てないといけません。 平ぺったい言い方をすると、『笑顔』でいられること、それが『幸せ』です。 何か、美味しかったり、嬉しかったりしたとき、 自然にあなたは『笑顔』になれます。 その、美味しいものを腹一杯食えたら、とか、何か、前からずっと欲しくて欲しくてしょうがなかった物をプレゼントされたら、『幸せ』だろうな、 とか想像できません? そのとき『笑顔』になってません? 『幸せ』は、『笑顔』でいられることです。 いや、昨今お笑い芸人がよくモテるというのは、 『笑わせて貰えること』が『幸せ』だと感じるから、 その人となら『幸せ』になれると信じられたんじゃないかなと考察してみるわけです。 好きなタイプは、『面白い人』って答えがちなのはそういう理由でしょう。 あなたの『笑顔』はあなたではない『誰か』から『何か』をしてもらって、やっと出来る『表情』なんですね。 まず、OKでしょうか。 はい、問題発生です。 わたしは誰からも『幸せ』にしてもらえてません。 これです。 誰もわたしを笑わせてくれないし、「君を幸せにしてあげたい」なんて誰も言ってくれない。 「僕は君を笑顔にしてあげたいんだ!」 とか、言われてみたいですよね。 いや、これって『愛の告白』じゃないですかね? じゃあ簡単には言ってもらえませんよね。 でも、誰か、そんな言葉を言ってくれる人はいないかなぁ、とか、時には思いませんか? あ、あの人がそんなことを言ってくれないかなぁ。 ああ、あの人は今日も素敵だなぁ。 みたいな これは『恋』じゃないですかね。 『愛』と『恋』というのは、このように表裏一体であります。 それらが何の目的を持っているか、といえば、目的は『笑顔』とか『幸せ』とかです。 違うのは、『方向性』ですね。 『愛』は、自身から、自身ではない誰かへ向けて。 『恋』は、ただひたすら自身に向けて。 まぁそんなわけなので、あなた自身の、私を『幸せ』にして欲しい、という欲求は、 あなたではない誰かからの、あなたを『幸せ』にしたい、という思いや、あなたを『幸せ』にしようとする何らかの行動によってのみ満たされるわけです。 でも、だから、その誰かが見当たらないので、あなたは『幸せ』が見つけられない。 簡単に説明するとこんな感じです。 あ、でも、『その誰か』が全く存在しなかったわけではありません。 思い出してみてください。 あなたは子供の頃、けっこう『幸せ』を感じていたんじゃないでしょうか? さぁて、誰が、あなたを笑顔にしてくれていましたか? はい、『その誰か』は、あなたが大好きだった両親や家族とか、友だちとか、身の回りにいたいろんな人たちでした、よね? でも、そのうちあなたはだんだん笑わなくなっていきました。 だって子供の頃はみんな単純なので、そんなに多くのことは望まなかった。そのうえ大した能力がなかったので、自身の能力以上のことを見せられるだけで、簡単に強い感動を覚えたりできるわけです。 けれど、子供が成長するのは早い。 どんどん色んな能力を身につけるし、欲しいものとか知りたいこととか、がんがん増えるし。 願望とか、欲求とか、不満とかはみるみる膨らんでくるわけです。 ましてや『笑顔』にしてくれるどころか、不快にさせてくる、頭にくる、泣かされるような、『不幸』にするスキルの高い人物の、何と多いことか。 すると、かつては嬉しかったことも嬉しくないし、楽しめないし、全然笑えないし。 って言う状態に落ち入るわけです。 なんなのこの満たされない気持ちは!? お寺とか行くと、それは煩悩と言って、捨て去ることで解決する、とか教えられます。 あなたは、あなたの歪んだ思い、余計な欲望を否定しなさい。なんならあなたの全てを否定しなさい、とか迫られるわけですが。 いや、自分を否定して『幸せ』な気持ちになれますかねぇ、と思ったりしまして。 いえいえ、満たされないんだから、満たされれば『幸せ』になれる筈です。 満たされない思い、それは『恋』です。 それを満たしてあげたい思い、それを『愛』と呼ぶんです。 ここまではいいですか? 話は飛びますが、 あなたは『その誰か』になるべきであります。 ええ、……話を戻しましょうか。 おーーっはよぉーございまーーーーっす! あ、そこまで戻んなくてもいいです。 『満たされない』思いがあって、『満たして欲しい』と思うようになる。 だって、自身では『満たす』ことができないから。 で、『誰か』に『満たして欲しい』と思う。それは『恋』だと考えられます。 いえいえ、何も難しい思いじゃありません。 『恋』するぐらい生まれて間もない赤ちゃんだってできます。 お腹空いたとかオムツ替えてお尻拭いて欲しいとか、抱っこして欲しいとか、 赤ちゃんは泣き叫んで要求します。 そしてその単純な要求を満たされると、赤ちゃんは幸せそうに笑うんです。 そしてある日、お昼寝から目覚めると、お母さんが見当たらない。どこへ行ったの、お母さん!? 赤ちゃんはお母さんを求めて泣き喚くわけです。 その、泣き喚かずにいられないほどの欲求こそが『恋』の原型であります。 あ、でもあなたはもう赤ちゃんなんかじゃないので、もっともっと複雑な、ひどく難解な欲求を抱えて、爆発しそうになってるんです。よね? あ、そこまでじゃないですか? はい。 いや、爆発はしないまでも、あなたの心は『満たされない』のでほとんど笑えません。 だって周りの人たちは誰もあなたの思いを分かってくれないし、どうしたらあなたが笑顔になるか、なんて考えてもくれません。 なんだったら、他の人たちも、あなたと同じように、全く別の欲求をもっていて、あなたよりももっと『満たされない』と思っているわけです。 あ、はい。もしかしたら、あの人なら、私の心を満たしてくれるかも知れない。あの人こそが、私を笑顔にできる唯一の人かも知れない。いや、きっとあの人がそうだ! とか思い込むことがあります。 それが、あなたがたがよく口にする『恋』です。 私、あなたが好きなんです。付き合ってください! とか、祈るような気持ちでプレゼントを差し出してみたりして。 あ、『好き』にも色々あります。お花が好き、本を読むのが好き。あのアイドルが好き。お風呂が好き。お掃除が好き。犬が好き。ヘビが好き。虫が好き。カネが好き。人を騙すの好き。気に入らないヤツをぶっ飛ばすの好き。誹謗中傷して叩きまくるの好き。あの憎たらしいヤツをもっともっと不幸にしてやるの堪らなく好き。独りでいるの好き。 『好き』っていう思いは、その好きなものとか行為の先に、自身の『笑顔』がある、ということをその人は何となく知っている。それをすれば、それを見ていれば、その人は『幸せ』かも知れないと感じる、ということだと思うんです。 いや、共感しやすい『好き』から全く共感できない『好き』まで、人の個性が十人十色であるようにその『好き』もまた万人万色でありまして。 何と申しましょう、『好き』であることの全ては『自身』の『幸せ』に向かって行動を促す『情動』であります。 でも、何か、ものすごく迷って、今度こそ告白するぞ、と決意して、 「ぼ、ぼくはアナタが好きです!」って叫ぶように言った割には、アナタをぜったい幸せにします的な決意は皆無で。 なんなら、「ぼくはアナタに幸せにして貰おうと心に決めました!」的な意味合いのことしか言ってませんよね? 言ってます? 言ってませんよね? みたいな印象が否めません。 んでも、激しく『好き合う』ようになって、お付き合い期間もそこそこに結婚しちゃって、蓋を開けてじっくり考えれば考えるほど、『オマエ、自分の幸せだけ考えやがってオレの幸せなんか全く眼中にねぇだろ、このクソ人間!!』とか思って直ぐに離婚して。とかいうケースは珍しくもありません。 つまり、みんな自身の『不満』だけを満たして笑おうとしている。……って思えません? モラハラだのDVだので泥沼的な離婚劇は昨今珍しくもありませんよね? それから、 いつまで経っても無くならないイジメとか、ドラマとかニュースでよく見る殺人願望とか、SNSの誹謗中傷で誰かを自殺に追い込んで尚何一つ反省していないとか、人種差別とか、ヤクザや海賊のような政策しか取らないどっかの国家の政府とか。 気に入らない相手を貶める記事しか書かないマスコミとか。 結局はその『人』とか『団体』とかが『笑う』為なら、誰がどれほど悲しんだり苦しんだりしても構わない。なんなら苦しめば苦しむほど嬉しくてたまらない人達は気が遠くなるほど沢山いるんです。こんな人達が『幸せ』になることなんてあるんでしょうかね。 だから、今、現代において、何が必要なのかを突き詰めて考えたら、 人間たるもの、誰しもが『愛する人』にならなければいけない、と言う結論に達するわけなんです。 あなたは、自身を満たしてくれる『その誰か』を求めるより、あなたが『その誰か』になって、あなたが満たしてあげられそうな人を求めるべきです。 あなたがなるべき『その誰か』というのが、イコール『愛する人』です。 それが、『幸せ』になる近道ですよ、っていうお話をしましょう。 ーーこれからかよっ! はい。 人間が笑顔になる方法はだいたい三つです。 一つめは、誰かに何かをしてもらって喜び、笑う方法。 二つめは大嫌いな誰かが不幸になったのを見て喜び、笑う方法。 三つめは大好きな誰かが幸せそうに笑っているのを見て喜び、笑う方法。 いや、『ひとの不幸は蜜の味』とかいうじゃないですか。だいたいその、不幸になって嬉しい思えるの人は、大嫌いな人に限られます。 とても大好きで、この世の誰よりも大切だと思っているひとが不幸になったら、『蜜の味』どころか、あなたも不幸になった気がしますよね。 いや、『幸せ』が、ずっと笑っていられることだとすれば、『不幸』はその逆で、いつまでもいつまでも全く笑えない状況が続くことです。 その誰かが『幸せ』であることが嬉しいなら、あなたはその誰かを好きで、とても大切に思っている、ってことです。 その誰かが『幸せ』であることが許せないなら、あなたはその誰かを嫌いだということです。 でも例えば、好きでも嫌いでもないけどどっかの有名人が何やら悪いことをしたらしいと、週刊ナントカの記事で読んだりすると、その有名人のことは特に知らないにも関わらず、その有名人を中傷するような意見に便乗して、誹謗中傷や悪口雑言をこれでもかこれでもか、まだ死んでなかったのか◯ね◯ね◯ね◯! とかネットで叩く人が、むかしはいっぱいいたじゃないですかぁ。(過去形で大丈夫かなぁ) こういう犯罪者的な行為は、要するに誰も自分を喜ばせてくれないから、その有名人を大嫌いな奴と決めて不幸にしてやれば自身が『笑顔』になれるんじゃないかなと信じた結果だと思うんです。 けれど、その人たちは訴えられ、犯罪者と呼ばれ、その人の家族も友人も、その人と同類のように世間から貶められて、結果その人でさえ大切に思っていた人たちまで『不幸』にして、自身も周りの人たちも、いつまでもいつまでも全く笑えない状況が続くことになるわけです。 はい、三つめの、大好きな誰かが幸せそうに笑っているのを見て喜び、笑う方法を考えてみましょう。 あ、人間の、いろんな能力とか機能とかいうのは、だいたい人間独りでは成立しません。 どれほど歌が上手かろうが、絵が上手かろうがテニスや柔道が得意だろうが、ピアノ演奏ができようが、その人が独りきりでいる限り何の意味もありません。 だいたい、笑ったり泣いたりしてるあなたの表情は、あなた自身では見られません。 その人のかたわらに誰か大切な人がいて、 その人が傍らの誰かと顔を見合わせたり話したりしている中で笑ったり泣いたりしているあなたを見て、傍らの誰かが笑い返したり一緒に泣いたりして、その人たちはやっと何らかの『意義』とか『価値』を見出だすことができるんです。 そもそも人間の『価値』というものはその人自身が決められるものではありません。 あ、『価値』というのは、好きか、嫌いか、大切か、どうでもいいか、大嫌いか、勝手にいなくなって欲しいか、この手で殺してやりたいか、っていう、ランキングみたいなことです。いや、ランキングじゃないか。いや、世界で一番大切な人、とか、世界で5本の指に入るほど下らない人だとか、今のところ7番目ぐらいじゃないかな、とか、他人の価値をあなたの主観で決めたことありませんか? じゃあランキングでいいかなぁ。 だから、あなたの『価値』も、気がつけば知らない誰かから勝手に決められて、常日頃から尊敬されたりバカ扱いされたりしてるんじゃないですか? だから、あなた自身の『価値』はあなたが決めるべきものではないんですが、あなたの『価値』は、あなた自身の努力とか行動如何で、いくらでも上げ下げすることができるんです。 たくさん勉強したら成績も良くなるみたいなことです。 だから、人間として『価値』の高い人はどんな人だろう、とか想像してみてください。 究極は、その人が、どんな方法で笑顔になろうとしているかで、その『価値』が決まってくるんじゃないでしょうか、って思うわけです。 はい、 人間が笑顔になる方法はだいたい三つです。 一つめは、誰かに何かをしてもらって喜び、笑う方法。 二つめは大嫌いな誰かが不幸になったのを見て喜び、笑う方法。 三つめは大好きな誰かが幸せそうに笑っているのを見て喜び、笑う方法。 一つめの方法は赤ちゃんでも、なんならワンちゃんやお猿さんでも出来ます。大した価値はありません。 二つめの方法は、いじめっ子とか、犯罪者とか、クソみたいな人間のひどく腹立たしい価値しかありません。 では、三つめの方法は? そうですね、 あなたを笑顔にしてあげたい。 あなたを幸せにしてあげたい、と思われるとか、 何かしらの行為を受けるということは、 あなたという人間が、それなりの価値がある人だと認められている、と思っていい。 『大切』という価値です。 それから、 あなたを笑顔にしてあげたい。 あなたを幸せにしてあげたい、と思われるとか、 何かしらの行為を受けるということは、 あなたを大切にしている、ということです。 いや、大切にされる人はどんな人か、って言えば、大切にする人、でしょう。 その人が大切にするから、その人は大切にされて、 その人が大切にされるから、その人はもっと大切にする。 そうしてお互いが大切にし合って、 お互いが『笑顔』にし合うから、 お互いがいつも『笑顔』でいられる。 それを、『しあわせ』と呼ぶのだと思うわけです。 いや、『幸せ』とか『幸福』と書いて『しあわせ』と読むのが現代の常識なんですけどね、昔、っても昭和の始まりの頃、『仕合わせ』と綴っている人がいました。どういう名前の小説だったかは憶えていませんが、書いていたのは芥川龍之介という人です。あ、でもこの人は自殺した阿呆です。 いや、『仕合わせ』の『仕』は、『仕事』の『仕』で、『仕える』とか『奉仕する』という意味があります。 それを、人と人がお互いにし合う、という意味が、『幸せ』の本来の意味なんだろうと考えてみるんですけどね。 いや、仕えられるのはいいけど仕えるのはイヤだなぁ、って、思うんですよね? はい、だから『幸せ』になれないんですよぉ〜〜。 とか言っちゃって。 いいでしょうか、人間は、幸せになる為に生きています。 そして人間は一人じゃないから、人と人の間で、いろんな関わり合いを持ちながら生きるから人間なんです。 人と人がお互いを大切に思って相手を幸せにしようとするから、人間は『仕合わせ』になれるんです。 人と人の間にあるのが、相手を笑顔にしようとする思いとか行為、つまり『愛』というものであるならば、『人間』というのは『愛』の代名詞でもあります。 自身ではない誰かを大切に思って、どうしたらその誰かを笑顔にできるかを考えて行動することは、だからとても『人間らしい』ことなんじゃないんですかねぇ。 いいこと言うなぁ、私。 あ、だから『人間』は『幸せ』になる為に生きている、と同時に、自身でない誰かを『幸せ』にする為に生きているんです。 誰かを幸せにするのは簡単ではありません。 仕事とか、勉強とかは、自分じゃない誰かを笑顔にする為に、自分の能力を向上させる目的があるんです。 その能力が高いほど、人間としての『価値』があるってことなんだと思うんです。 生まれてすぐの人間は、良い子です。 けれど放っておくとどんどん悪い子に育っていきます。大人たちは悪い子に教えようとします。 これをやってはいけません。そんなことするのは悪い子です。 え? ぼくは悪い子なの? え、でもぼくより悪い子はいっぱいいるよ?  で、自分は悪人ではないと自覚する大人は悪い子を叱ります。そして自分は善人ではないと自覚する大人は悪い子を褒めます。 いや、良い子だろうが悪い子だろうが、叱られるより褒められる方が好きです。 すると褒められるから、悪い子はより悪い子に、悪くない子は、それなりに悪い子に育っていくわけです。 まぁ、たまには、奇跡のようなすっごく良い子が育つんですけどね。だいたいが悪い子で、何なら自分が悪い子であることを自慢します。 現に、いつまで経ってもイジメは無くなりません。 イジメはいけないことだと教えられていますけれど、だってそいつムカつくし、何ならそいつをイジメることこそが正義だと思い込んでます。 そんな悪い子に何を教えればいいでしょうか。 それはいけない事です。それは犯罪ですからあなたが損をしますよ、と、普通は教えたがるんですけれど。 いえ、だから彼らが知りたいこと、教えてほしいことは、じゃあイジメない代わりに何をすれば良いのか、です。 何をすれば笑えるようになるのか。 例えば『道路工事中』とかの看板が立ってるとしましょう。そこにはこう書かれています。 この先工事中。進入禁止。 以上。 えっ、どうすればいいの? って思いますよね? 他に何を教えて欲しいですか? はい。進入しちゃダメだって言うんなら、進入しなくても大丈夫な、何ならもっと早く目的地に到達出来る道順を教えて欲しいですよね? そういうことです。 ではみなさんごきげんよう。 あ、はい。説明します。 人間は『幸せ』になるという『目的』をもって生きています。でも『目的』は知っててもそこに辿り着く道順が分かりません。 だいたいその『目的』の何たるかを明確に知っている人が見つかりません。 いや、私は何のために生まれて、今も生きてるんでしょうか? って考えて、答を求めている人って、だいたい真剣に悩んでいます。 お前なんかが何のために生きてんだよ、消えろよ! とかお前こそどうなんだよって連中に責められながら、今にも消え入りそうな精神状態で疑問を投げかけているんです。 仲間で集まってワイワイと騒ぎながら、何かの話のタネにどうなんだ? あん? みたいな薄っぺらい知りたがり方はしてないと思うんです。 だから聞かれたら、真剣に答えて欲しいんです。 私はどうしたらいいですか? 我々は本来どうあるべきですか? って詰め寄られたら、あなたはどう教えてあげられるでしょう? 要は『幸せ』という目的地へと導く道標に、あなたは何と書き込むでしょうか? ってなことです。 ーーこの道へ入ってはいけません! これは最悪な回答です。 入っちゃいけない道というのはつまり、悪い人の道です。いじめるとか盗むとか殺すとか脅すとか騙すとか自殺するとか。 我々は、アレをしちゃダメ、ソレはいけない行為です。ソレをさせない為に罰があります。とかいって教えられました。 それらを『規則』と呼びます。『法律』というのもだいたいがマイナス思考の、否定的な規則です。 そりゃ、そんな規則ぶち壊して自由になりたい! とかいって悪い子が増えちゃいますよね。 すると『幸せ』にたどり着いてくれないですよねえ。 『幸せ』という目的地へと導く道標に、あなたは何と書き込むでしょうか? ーーこの道は通れないのでそっちの道から迂回してください。 こうですね。地図とか貼り付けとくと特に分かり易い。 なんて親切な看板かしら!! って思ってもらえるかと。 なので、あなたが『幸せ』になる為に、あなたじゃない誰かからして欲しいと思うことを、あなたじゃない誰かにしてその誰かを『幸せ』にしてあげなさい。 こんなかんじです。 いや人間として行うべきことが『愛する』ことであるなら、いじめるとか盗むとか殺すとか脅すとか騙すとか自殺するとかは全く逆のことですから、それは悪い道だと分かりますよね? なので、あなたが『幸せ』になる為に、あなたじゃない誰かからして欲しいと思うことを、あなたじゃない誰かにしてその誰かを『幸せ』にしてあげなさい、  になるんです。 これは、昔々の古い古い文献に綴られている超有名な言葉を、くどくどと言い換えた言葉だと思ってください。 つまり、 「汝自らを愛する如く、汝の隣人を愛しなさい」 ですね。 まぁそんな感じでわたしは大したことは言ってないんですけど、どうか、あなたが幸せになれますようにと、祈るばかりです。 え、迷ってないんですか? よかったよかった。 2021/08/04
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加