追記、2

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追記、2

 えっと、  こないだ『タロとユメ』を綴って公開しましてですね。  え、何この話ぃ、  とか思われてるんじゃないかなとか。  いや、その前に大して読んでもらえてないみたいなので、じゃあ今のうちに言い訳しとこうかなとか。  や、100人読んで貰えたら1人ぐらいは分かって貰えるかなぁ、とか思うぐらいの駄作で申し訳ありません。  さて、お葬式の時にお坊さんが詠唱されてるお経って、何かご存知でしょうか。  って言うか、仏教の経典って、つまりは何なの? って話なんですけど。  お経は、亡くなった方が迷わないおまじないだとか思ってません?  違います。  あれは、後ろに参列された方々への、生きるためのアドバイスなんですよ。  って、某N局のチコちゃんとかいう頭のやたらデカい5歳児に教わったんですけどね。  いや、けっこう遠い昔に『悟り』をひらいて、その、お釈迦さまが悟った色んなことを、お釈迦さまの弟子のお坊さんに伝えたのが、現代まで受け継がれてる経典、というもので、その一部を切り取って、お葬式とかで読み上げでるのがお経という物なのね。  ここまではいいですか?  え、それで、何のアドバイスですか?  とか思いますよね。  はい。お経を聞いてる私たちが、ちゃんと生きる為のアドバイスです。  いや、ちょっと待てと。言われんでもちゃんと生きとるわいと、思ったりしますよね。  で、じゃあ、ちゃんと生きるって、何すか?  じゃああなた、何の為に生きているか、即答出来ますか?  人間は、なぜ生まれて何の為に生きて、なぜ死ななきゃいけないんですか?  っていう、答えなんか無いだろうと思えることの、答えを見つけることを『悟り』っていうんじゃないのかな、と、思うわけです。  そう思うわけだから、宗教が学問として成立できるんだと思うわけです。  いや、学問の根本は宗教から始まって、それを真っ向から否定してみたり、様々な方向から検証してみたり、参照してみたりして、現代の様々な学問が成立してるわけです。  っていう学問もあったりするわけです。  あ、近代はうさんくさいカルト宗教とか、やたらと増えてますけども、あれは宗教が悪いんじゃなくて、宗教を私利私欲を満たす為に悪用した詐欺師みたいな人間が悪いだけです。  宗教は金儲けの道具ではないので、怪しい壺を売りつけられたり高額な寄付金を強要されるようなら、逃げても訴えてもいいんです。  でも、何が知りたくて、どんなアドバイスが欲しくて、その宗教に飛び込んだのかを、しっかり思い出していただきたい。  いやいや、生きる目的は幸せになること。そして、幸せであり続けて生きることです。  そして幸せには自分一人ではなれないということです。  あなた、ストレス抱えてるでしょ?  ストレスって何ですか?  あなたが幸せになりたいのに、どいつもこいつもあなたを不愉快に、不幸せにしようとしやがる。そこで感じるのがストレスです。  そのストレスが、犯罪を生んだり、自殺者を増やしたり、戦争が起こしたりするんです。  その、ストレスがない人生の送り方、というアドバイスが、まぁ、お経から得られるアドバイスなんじゃないかな、と、思います。  でも、ストレスのない人生が幸せか、っていうと、そうでもないと思うんです。  幸せって、笑えることです。  いや、大笑いまでしなくていいんですけど、なんか、ずっと穏やかな笑顔で生きられる人生って、『幸せ』だと思いませんか?  じゃあ、その幸せになるためのアドバイスって、必要じゃないですかねぇ。  あ、何やかやで60年も生きてるので、そういうアドバイスしてみたいなあ、っていう欲求が私にはあるわけです。  でぇも、なんか、知らないじじいの説教なんか聞きたくないでしょ? 面倒くさいし。  で、なんか、物語の中にそんな話を盛り込んでみたらいいんじゃないかなぁ、とか思うけど私、お話作るのが苦手で。  ま、そんなわけで、旧約聖書のアダムとイブのお話をいらんことゴニョゴニョとこねくりまわして『タロとユメ』が出来ました。  できれば、色んなことを考えながら、読んでいただきたいなぁと、思うわけでございます。  まぁ、この文章には、なかなか辿り着いてもらえないだろうなぁ、とは、思っております。  読んでくださってありがとうございました。 頓首。         黒出水雅之介 2023/02/10
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