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笑顔の行方
あ、はい。あなたは、ご自分の笑顔、好きですか?
ってお話しましたっけ?
や、たしかこんなタイトルつけてツラツラと文章綴ってた記憶はあるのに、どぉこに収まってたんだか覚えてがなくてですね。
や、ここに移した文章ってば、LINEの日記が無くなるってんで、慌てて一通り移したんですが。
それから時間が経って、ふと思い出したのがこの文章のタイトルなんですが。
記憶なんてものはいい加減にバラバラととっ散らかって、記憶と現実がなかなかにうまく噛み合わなくなってたりします。酒は古くなると甘くなるみたいなことかなぁ、なんて、歳を取ると言い訳がましく思ったりもするわけです。
で、探したら、かのmixiの日記に残ってました。2008年だってぇからもう15年も前の文章で、読み返してみたら読み返してみたで、えー、こんな書き方してたっけぇ? だったわけです。
どうしようかと思ったんですが、細かい所をいくつか訂正しなきゃいけないかも、とか。んでも、まぁ、そのままここに貼り付けます。
15年前、まだ45歳だったおっさんの呟きを、どうかご賞味あれ。
ーーあ、ここまで飛ばしてくださいね!
※ ※ ※ ※
おはようございます。
や、べつに早くもありませんが、ご機嫌いかがですか?
あ、何だか始まり方がいつも唐突な気がしたので、取り敢えず、ご挨拶から入ってみました。
あさて。
あなたはどんな笑顔で笑っていますか?
や、自分の笑顔、ってのは、案外自分では見たことがありませんでね。怒った顔も、泣いた顔も、まあ同様に。
だって、鏡とか、写真とか、ビデオとか、そうゆうものがないと、自分の表情を自分で観察することは出来ません。自分の感情は、誰よりも自分が一番よく分かっている、といいながら、自分が今、どんな表情をしているか分からないというのは、何だかひどく滑稽なことのように思います。
あ、『表情』というのは、『感情』を『表す』と書きまして、形のない人の感情が、その人の顔とかのパーツを動作させることによって、形として表現されたものです、よね?
じゃあ、表情というのは、何の目的で存在するんでしょうか?
いや、存在する、ってえのは何だか表現が違いますね。
じゃあ、感情というものが、顔とか、身振りとかの表情で、目に見える形として表現されるのは何故なんでしょうか。その目的というのは、何処にあるのでしょうか? しかも自分の表情を、自分よりも、周囲に存在する自分以外の誰かの方がよく見られるのは、何故なんでしょうか。
ま、何故かはともかく、そういうふうに、形成されているのが人間なんです。
そして表情は、自分より、他人に見せることを目的として表現される。そんなふうに出来ているのが人間なんだと思うんです。
人間というのは、だから基本的に自分以外の誰かと共存することを前提として設計されている。んじゃないかなぁ、とか、思えるんですけとね。
そんな前提で出来てる人間の生きる目的も、だから個人レベルで考えるのではなく、人間の、集団としてのレベルで考えた方がいいんじゃないかと、思うんですね。
はい、話は戻ります。
おはようございます。や、そんなに早くはない……、すいません、間違えました。
えっと、人が生きる目的は、笑うことにあります。
そして、人が笑うと、その表情は笑顔になります。
そして自分の笑顔は、自分よりも自分以外の誰かに向けられて、特に向けようと思わない人にも笑っていると分かってしまう。
や、でも、人間は、自分以外の誰かが笑ってる、幸せそうにしてるのを見ると、何だか笑えない感情を覚えることがあります。
ほら、何だか面白くない出来事が起こって、ちっくしょうばっきゃろうこんちくしょう! とか思ってるところへ、誰だか知らないけどもニ、ッタニッタと笑ってる人が見えたとしましょう。すると、
どんないいことがあったか知らないが何だか無闇に腹が立つ! とかいう感情を、覚えた経験、ありませんか?
まして、自分をここまで不愉快にした当の人物が、そのくそ腹の立つ張本人が、自分の目につく所で、お仲間連中とかとニコニコニコニコと幸せそうに笑ってやがったとしたら、ばっかやろ、ソイツの幸せなんか根こそぎぶちこわしてやろうかこんちくしょう! みたいな衝動さえ覚えます、よね?
つまり、『自分』の生きる目的は『自分』が笑って生きることにあるんだけれど、『自分』だけが笑い続けることは窮めて困難のように思われます。むしろ、自分だけで目的に到達するなんて不可能なんじゃないかと、思えるんですね。
だから、『個人』ではなく、『集団』で、一緒に目的に向かうのであれば、『ずっと笑』える可能性は窮めて高かろうと、思えるわけです。
や、笑う、というのは、なにも面白い事象を客観的に見聞きして受動的に笑う、というばかりではありません。
人間には、『笑いかける』という、能動的な芸当が出来ます。――や芸当、ってのは失礼な言い方かも知れません。
でも、世の中にはわざと笑わない方も大勢いらっしゃいます。
や、人間の笑顔が自分以外の誰かに向けられたものであるということは、『笑いかける』という行為が、実は『笑顔』の、一番の『存在目的』である、ということなんじゃないかと、考えてみるわけです。何となれば、人の表情は、『笑いかける』ためにあるんじゃないかと、思うんですけどねえ。
だって、嫌いな人、どうでもいい人はこっちへ置いといて、好きな人、大切な人から、自分に、あなたに、笑いかけられたら、何か、理由は分からなくても、あなたも笑顔になってしまいませんか? 何を笑ってんだよ気持ち悪いなぁ、とかは、決して思いませんよね? そして、その大事な人の笑顔を見ているだけで、あなたも何だか笑顔になってしまいませんか?
そして、あなたの笑顔を見たあなたの大切な人は、もっともっといい笑顔になってあなたを見るんじゃありませんか? そしてあなたもまた……。
……や、それを、『笑顔の相乗効果』とか呼んでみましょうか。
そして、その『笑顔の相乗効果』が連鎖して、あなたと、あなたの大切な人以外の誰かも、あなた方と同じように、若しくは、もっともっと大きな相乗効果を現してみせるならば、この笑顔に溢れた状態を、『しあわせ』と呼ばずして何と呼べばいいんでしょう?
だから、『幸せ』というのは、一人だけ、自分だけ、私だけでなるものではなく、大切な人と、大切に思う人たちと、一緒に構築していくべき『集団的理想心理状態』、とでも呼ぶべきものなのでしょう、なんてえことを言いたいわけなんですけどね。
や、誰かと作って、あるいは、みんなで作って、一緒にたどり着いた『目的』なわけですから、そうそう簡単には壊れないと思いますよ。
だから、笑いかける、練習を、もっと、しましょうよ。
とりあえず、一人で?
では、おやすみなさい。
(2008年01月23日23:43)
※ ※ ※ ※
えー、名目が『日記』っていうていなので、おやすみなさい、で終わってますが、もうちょっと起きててください。
人間というのは『幸せ』になる為に生きてるんです。そして、今大切に思ってる誰かを、これから出会うかも知れない大切な誰かを、『幸せ』にする為に生きてるんです。
『幸せ』というのは、『笑顔』でいられることです。
『笑顔』が無いところに『幸せ』なんかあるわけないでしょう?
そして、その大切な人をどうやって『幸せ』にできるかは、あなたが生まれ育って学習して、得意な何かを見つけて、それらを如何に活かせるかにかかっています。
大切な人を、どうやって笑顔にするか、というのは、その人の特性とか特技とか、何か上手にできるかとか、十人十色、千差万別です。誰かと同じじゃなくていいんです。それが人間の『個性』というものだと思います。
って、コレどっかに書きましたね、私。
いや、だから私なんかは常日頃笑わせて貰えないことが多いので、決して『幸せ』とは言い難い仏頂面をしてるんですが、でもあなたには笑わせてくれる人がいませんか? 笑わせてあげたい人がいませんか?
今日、これを読んで下さったあなたは、もう私の大切な人です。
だからどうか、笑顔でいてください。
って、このぐらい書かないと話が締まらないだろう45歳!
あ、失礼しました。それではご機嫌よう。
黒出水雅之介
(2024年2月21日)
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