88人が本棚に入れています
本棚に追加
/89ページ
「はい」
市五郎の「昨日」と言う言葉に対しても、結城は少しの動揺を見せなかった。真っ直ぐ見返す結城に、逆に市五郎がうろたえた。
「き、昨日、一本、書けました。短編ですが」
結城の表情がパアッと明るくなった。
「そうですか! いやー、来てよかったです!」
結城はカップをソーサーへ戻し、姿勢を正すと前傾姿勢になった。昨日のレストランでの仕草を思い出す。
「見せていただけるんでしょうか」
柔らかそうな唇を凝視してしまう。
キラキラと目を輝かせる結城を拒否できるわけがない。
「あ、はぁ。……このパソコンで良ければ」
市五郎は席を譲りつつ、今書いていた妄想の産物を焦りながら閉じ、昨日書いた物をクリックした。
「どうぞ、私は縁側でタバコを吸ってきます」
「はい。では拝見します」
市五郎は立ち上がりタバコをポケットに突っ込むと、縁側から庭へ出た。三時の時点では茹だるような暑さだったが、今は少しマシになったようだ。庭木への水やりはまだ出来ないが、打ち水はしておこう。
庭の隅にある、繋いだままのホースの先端を持ち蛇口を捻る。噴き出た水はお湯のように熱かった。それが冷たくなったのを確かめ、庭石や石畳へこれでもかと打ち水をする。
昨日、市五郎が執筆したものはやはり爽やか系の短編だった。その前が学生ものだったので、今度はサラリーマン同士にしてみたのだが……、結局は幼馴染との恋だ。濡れ場もない。作品としてはあんまり喜ばれる系統ではないのかもしれない。
水まきを終え、タバコの後始末をする。
最初のコメントを投稿しよう!