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思いがけない申し出に、余分な考えは市五郎の脳内から跡形もなく消えた。結城の力強い言葉が嬉しい。今まで書いてきて、こんな風に勧められたのは初めてだ。
「主人公がこう……なんというか、清純じゃない。と言っては変なんですけど……仕事で必要ならこういうのも厭わないって感じもありなんでしょうか?」
「は、はぁ。まぁ……」
昨夜の結城さんなら、あれくらい軽いもんだろう。
「需要もあるので、ウケる作品が並びがちなんですよ。でも同じようなのばかりでも退屈ですよね。こういう一風変わった切り口での、真新しい風を僕は入れてみたいんです」
熱のこもった口調に心が震える。目の前が開かれたような感覚。手を繋いでいるわけではないのに、手のひらに結城の体温が感じられる気がした。光の中へ共に踏み込むような高揚感。
内心の興奮を押さえ込み、市五郎は静かに答えた。
「勿体ない申し出をありがとうございます。わかりました。結城さんの期待に応えられるよう、全力で取り組みます」
「食い付きますよ。きっと今の僕のように。うん。これは僕らの第一歩になるに違いない」
市五郎の胸をまたもや衝撃が打った。己の気持ちが全て、結城に丸わかりなのかと思うほどだった。
いや、そんなことはどうでもいい。結城の「僕らの第一歩」という言葉が指しているのは、出版社で交わした会話の開始の合図であった。
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