四、恋する男

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四、恋する男

 結城は「このお話が上がりしだい連絡くださいね。お待ちしております」と言って帰っていった。  それから、市五郎は一時間くらい呆けていた。  色々と考えなければいけないことは沢山あったのだけれど、まずは己の気持ちを鎮めるのが先だった。  市五郎はボーイズラブ作家などしているが、同性愛者ではない。どちらもいける、などという器用さもない。今までの経験も女性のみ。かといって女性がいなければ生きていけない。というタイプでもない。  淡白で、煩わしい人間関係がただただ苦手だ。人見知りはそれに拍車を掛けたし、最初の結婚で妻が妊娠した時は素直に喜んだけれど、のちにそれが不倫相手の子供だと分かってからは、結婚というものに一切の幻想を抱かなくなった。  淡白とはいえ人を愛する気持ちも、愛されたい気持ちも人並みにある。元妻を市五郎なりに真剣に愛し、生涯を共にしようと決めたのだった。そもそも『生涯』という考えが時代遅れだったのかもしれない。  当然、荒れた時期もあった。  毎晩飲めない酒を飲んだこともある。  その頃、近づいてきた人間の中になぜか男もいて、そういう世界もあるのだと認識したのだ。「ノンケに興味はないから」と言いつつ、彼は市五郎の傍にいてくれた。  もし市五郎が彼に好意を抱いていれば、それはそれで、新しい関係が築けたのかもしれない。しかし、市五郎は彼に感謝こそすれ恋する気持ちは一度も抱けなかった。  ボーイズラブ作家になったのもそういった気持ちからだった。痛い経験を経た市五郎に、十代の頃のように女を愛することはできそうにない。しかし純粋に恋をしてみたいとも思わせた。あるいはまだ知ることのない愛を求め、彷徨っていたのかもしれない。
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