四、恋する男

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 何を見ているのだろう?  市五郎が結城の視線をたどると、男性トイレから和装の中年男性が出てきた。ボディガードのような体格のいいスーツ姿の男達を従えている。いかにも気難しそうで威圧感のある風貌をしていた。  きっと大物の作家なのだろう。最初の挨拶の時に前で話していたかもしれない。考え事をしていた市五郎にはなにも記憶にないが。  こちらに向かってくる男性。結城は一気にソワソワした様子になった。はにかむように視線を落としながら、チラチラと上目遣いで男性を見る。出待ちをするファンのようだ。中年男性との距離が徐々に近づいていく。  どうするつもりなのだろうと、市五郎が固唾を飲んで見守っていると、結城は声を出して挨拶するでもなく、慌てた様子でガバッと深くお辞儀をした。大仰な仕草だったが、中年男性は結城の前で足を止めることも、視線を送ることもなく会場へ入っていってしまった。  存在に全く気付いていないのか、気付いていたとしてもたかが編集者の若造に対応するのがバカバカしいと思っているのか。  可哀相に。    市五郎は結城の後ろ姿に胸を痛めた。尻尾をくったりと落とした犬のような背中にかける言葉も見つからない。さっきまではパーティ会場に相応しく、背筋をピンと伸ばして皆に挨拶をしていたのに。
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