四、恋する男

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 まったく予想していなかった単語に市五郎が面食らう。  結城はますますバツが悪そうに首を竦めた。 「父といっても、ご覧の通りで。僕のことなんて、いないも同然で。気にも留めてくれないんですが……」  父親が息子をあのように無視することなど、あり得るのだろうか?  混乱した頭で市五郎が考えていると、結城が小さな声で続けた。 「昔からなんです。父は小説のことしか頭にない人だから」 「……そうなんですね。少し、いや、かなり、変わった方……と言ってしまってすみません。小説家だけではないでしょうが、一定数いますよね。没頭しすぎて周りが見えなくなるというか……」  これがフォローになっているのか? と思いつつ当たり障りのない返しをする。 「父のことが知りたくて、編集者になったんですが……」  寂しげに目を伏せる。  父のことが知りたくてというより、同じ世界に身を投じることで父親に振り向いて欲しかったのだろう。  健気な結城に市五郎の胸はしくしく痛んだ。  父親が父親としての役割を果たしていなくても、子供というものは純粋に求める。それなのに、あの男は……目の前で頭を下げた息子に一瞥もくれなかった。  市五郎には到底信じられない。
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