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「あの、結城さんだと気付かなかった……という可能性はありませんか?」
それもおかしな話だと思うが、落胆している結城を少しでも元気づけたい。
市五郎の言葉に、結城は静かに首を横に振った。
「一緒に住んでいた頃も言葉を交わしたこともないんです。父にとって、僕は存在しないも同然なんです」
「そんな……」
「変ですよね。普通じゃない。でも、それがうちなんです。僕にも文才があれば、あるいは気にかけてくれたのかもしれない。でも、残念ながら才能がなくて」
結城の目に哀しげな影が落ちる。
飴色のテーブルに所在無さげに置かれた白い手を、市五郎は上から重ねるように掴んだ。咄嗟の行動だった。結城がそのまま消えてなくなりそうで引き留めずにいられなかった。
手の中で、白い指先がピクンと動く。
「結城さん」
市五郎の呼びかけに、そっと視線を上げる。
不安げな視線が市五郎へ向けられた。
「わたしはあなたがいてくれるから、長編に挑戦しようと取り組んでいます。全て、あなたのおかげです」
「僕……が?」
「そうです。あなたの言葉が私に勇気を与えてくれた。あなたの微笑みが私を駆り立ててくれた。自分の限界を自分で狭めていた私を結城さんが掬い上げてくれたんです。もちろん、挑戦が成功するかどうかは私の努力次第ですが、挑戦できるのは全て、あなたのおかげなんです」
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