六、雷鳴

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 ……泣かないで結城さん……、大事にします……。  一瞬の罪悪感と共に夢から覚め、市五郎の目がゆっくり開いた。  色褪せた天井をぼんやり見つめる。 「……はぁ」  意識が覚醒した途端に落ち込むのが、最近では市五郎の日課になっている。  言わずもがな、結城の夢を見てしまうからだ。  初めてその夢を見た時、信じられないことに市五郎は夢精をしてしまった。成人男性でも溜まっているとそういう現象が起こりうる。しかし、市五郎は今年四十八歳だ。すっかり枯れ果ててしまったと本人は思っていたので、かなりの衝撃だった。  例の長編は順調に書き上げつつあるが、市五郎はそれを結城へ伝えられないでいた。どういう顔をしたらいいのか分からないからだ。  連絡すればきっと、スイーツを土産に会いにくるだろう。淫靡な夢を見たあとでは、まともに目を合わせられる自信がない。それでも、次の締め切りの前には、必ず原稿を渡さなければならない。  キーボードを叩きながら考える。  ここで二人になってしまうより、出版社へ持ち込んだ方がいいのかもしれない。そうだ。いっそのこと、結城が留守の時を見計らって託けてもいい。  少しだけ気が楽になり、市五郎はタバコを手に縁側から庭へ降りた。  今年も異常気象だ。今年もというのなら、異常でもなんでもないのかもしれないが、もう十月だというのに恐ろしく暑い。きっと三十度近くあるのだろう。一雨あれば打ち水効果で涼しくなるだろうに。市五郎は蒸し暑さに耐え切れず、一本タバコを吸い終わるとすぐに書斎へ逃げ込んだ。
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