六、雷鳴

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 思ってもみないセリフに市五郎が目を丸くする。結城はたどたどしくそれだけ言うと席へ戻った。市五郎と目も合わせず、取り繕うかのように鴨南蛮を口へ運ぶ。 「鴨南蛮。とても美味しいです」  バレた時は怒られるかもしれない。怒られるだけならまだいい。気持ち悪がられたらどうしようと思っていたのに、わざわざ許可をくれに来たというのか。あんなにも雷を怖がっていたのに、こんな雨の中わざわざ。  市五郎は結城の健気な気持ちに触れたような感動を覚え、蕎麦を黙々とすする結城の様子に愛しさをつのらせた。 「……良かったです。ありがとうございます」 「あの、……眼鏡……とった方がいいですか?」  相変わらず鴨南蛮を見つめたまま結城が質問する。 「……私と二人きりの時、鳴く時だけ見せてください」  結城の肩がビクッと揺れた。もう掬う蕎麦もなく、真っ赤になったままつゆだけの器を両手で持ってつゆを飲み始めた。顔を隠したいのか、器を下ろす気配がない。  市五郎は箸を置き、結城の隣へ座った。動揺した結城は器のつゆを少し零してしまう。 「あっ……ごめんなさい」  こんな粗相をするなんて、仕事をしている時とはえらく違う。  市五郎はティッシュを抜き取り、零れたつゆを拭きながら言った。 「怖がらないで下さい。あなたを愛したいだけです」  そっと器をテーブルへ戻し、結城は申し訳なさそうに小さく頷いた。 「…………」  押し黙る結城の手を握り、立ち上がる。しかし、結城は俯いたまま立ち上がるのを躊躇ためらっているようだった。腿に置いた拳を、ギュッと握りしめている。  いくら慣れていなくても、立ち上がれば今から始まる行為に同意したことになると分かっているらしい。
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