狂脚

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『7km通過 ラップタイム2分58秒』  とうとう大台の3分切りだ。自身のポテンシャルに驚きと興奮が入り混じる。メロとの距離は10m弱、この距離は常に維持できている。詰めようとも思ったが、ここでいい。ここが今の俺の理想のポジショニングだ。メロの呼吸音が聞こえてくる、荒くなってくる呼吸が俺にほんの少しの余裕を与えてくれている。しかしそれはお互い様だろう。メロにも俺の荒い呼吸は耳に入っている。あいつはラストで仕掛けるタイミングを狙ってきているはずだ。メロは常に先手を打ってきた、それがあいつの戦法なんだろう。自身のタイミングで優位に立つことでことごとく勝利を重ねてきたのだろう。10歳のガキとは到底思えない勝負勘だ。こいつに勝つにはそれを上回るレベルに俺自身が到達しなければならない。メロも俺がどこで仕掛けるかを探っているはずだ。だから俺がやるべきことは…。 『8km通過 ラップタイム2分53秒』  ここだ。 「っ!?」  俺が一気にメロの前に出た瞬間、あいつの呼吸が乱れたのがはっきりと聞こえた。完全にあいつの虚を突くことができた。 「お兄さん…ハァハァ、もう仕掛けるの?ハァ、後2kmあるんだよ!?」  メロは動揺を隠しきれていない。こいつに勝つには後手に回ってはいけない。それはメロ自身も分かっているはずだ。そしてあたりをつけていたはずだ。9kmだと。その通りにしてしまえば俺は負けてしまう。メロに踊らされて終わりだ。だからこそ悪手といわれるべきタイミングで仕掛けるしかない!  全身に風がぶち当たる。今までメロを盾にしていたから分からなかったがこんなにも風をあいつは感じていたのか。 「ハ、ハハッ、ハハハッ!」  楽しい。この勝負がこのレースが楽しい。前に誰もいない、笑みが自然とこぼれてくる。あと2kmも満たない内にゴールしてしまうのか。もったいないという気持ちが心を萎えさせてしまいそうだ。早く足を出せ、もっと素早く腕を振れ、もっとスピードを上げろ! 『9km通過 ラップタイム2分47秒』  日本陸上競技選手権の10000mの決勝で戦うトップランナーたちは、1kmを2分40秒~50秒台で走る。9km通過の時点で俺とメロはそのランナー達と張り合うほどの走りをしているのだ。 「グッ…負けない、負けないぞ…負けたら終わりなんだ。ここで負けたら僕は消えてしまう!!」  メロが俺の隣にピッタリと貼りついてきた。ギンッと俺を睨み、抜かしてやる負かしてやるという気合がビンビン伝わってくる。 「8km通過で仕掛けてきたのはビックリだったよ、さらにタイムを縮めてここまで走ってきたというのも驚いたよ。けどねっ!もう終わりだよっ。ゴールはスタートした所と同じ踏切っ、その手前で追い抜いて僕が勝つ!」 「フフッ、クククッ」 「…何がおかしいの?」 「いや、お前には感謝しなくちゃと思ってな。ありがとうメロ。このスピードを教えてくれて、俺はこんなにも走れるんだと教えてくれて。…この快感を教えてくれてありがとう」  俺はまたスピードを上げる、メロも負けじとついてくる。まもなく踏切が見えてくる時だった。  静けさを破る警報音が響き渡る。遠くの方で列車の音が耳に届いてくる。踏切が視界に入ると遮断棒はもう下りている。 「な、なんで…踏切が閉まるんだ?もう終電はとっくに終わっているのに!?」メロは動揺しフォームを崩す。 「終電後に通る貨物列車だ。俺の普段のペースじゃあ絶対に遭遇しない列車だが、こんなハイペースで来ちまったから丁度かち合ったようだな」  複数のコンテナを載せた貨物列車は踏切に突っ込んでくる。今からスピード上げたところで交差点でメロがやったように通過前に渡りきるというのは絶対に無理だ。 「う、うぅ…」メロはスピードを落とした。そこを俺は決して見逃さなかった。 「スピードを落としたな?8km通過での俺の仕掛け、知らなかった貨物列車による踏切の閉鎖。予想だにしなかったことが立て続けに起きたことがお前の足に、勝利への渇望にブレーキをかけちまったんだ」  俺はそこで一気にスピードを上げメロとの距離を開く。 「む、無理だ…。もう列車は通り始めているっ、止まるしかない!!」 「こんな楽しいレースのゴール手前という一番盛り上がるところを…列車なんかに邪魔されてたまるか!!!」  俺は下りている遮断棒を思いっきり飛び越え、踏切内に突っ込んだ!  高く高く跳んだ俺の体は均等に配置されたコンテナとコンテナの間をすり抜けて、踏切の向こう側へと転がり落ちた。 『10km通過 ラップタイム2分40秒』  受け身を取れず痛みに悶えながらも列車の通過を見送った。どうだと言わんばかりの顔をメロに見せてやろうと思った。  だが、列車が通過した時、メロはそこにいなかった。辺りを見回してもそこには誰もいない。列車は通過し警報音も消え、辺りは静寂を取り戻した。  静けさの中で自分の呼吸と早鐘を打つ心臓の音だけが耳に響いた。足が動かせない。それはメロに奪われたからではなく、限界を超えた走りをしたことによる疲労だった。俺はウォッチを止め、体を引きずりながら家へと帰った。  この日以降メロが俺の目の前に現れることはなかった。負けたから消えてしまったのだろうか?あいつはこの世のものだったんだろうか?考えたって分からない。  日課のジョギングはコースを変えずに続けることにしたがペースタイムは変えた。そうでないと気持ち悪くなってしまった。 『1km通過 ラップタイム3分』  俺の前を、ニコニコ笑うあいつが走っているような気がした。
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