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■AM9:00
まず、自殺するにあたって必要な工程を考える。他殺の可能性が疑われないように、遺書は残すべきだろう。法的効力のある公正証書は遺言書だが、遺言書には厳格な要式があるという。法的に正しいものを作成するには専門的な知識が必要らしい。弁護士に依頼するにしても、時間も費用もかかるだろう。どうせ大した財産もないのだから、わたしは簡単な遺書のみ残すことにした。
遺書の内容としては、親への感謝と謝罪、あと口座情報も必要だろう。死ぬにも金が掛かるのだ。アパートのクリーニング代や中途解約金、諸々の物品処分費。一番大きな額でいうと葬儀代だろうか?……市民葬で済ませることができるなら、それら全てを支払っても結構な金額が残るだろう。それは親に慰謝料として受け取ってもらいたい。どうか、温泉旅行にでも行って親不孝な子供のことなど忘れて欲しい。
遺影用の写真を選ぶ必要もある。どうせならば少しでも綺麗なものを残したいが、今から撮影スタジオを予約して間に合うだろうか?衣装は普通の洋服ではなく、振り袖でもいいかもしれない。ドレスもアリだ。ああ、だがそのようなスタジオ写真は、現像に時間がかかるだろう。残された時間を考えるとあまりに現実的ではなく、わたしは諦めた。きっと、成人式の時のぎこちないはにかみ顔の写真が使われることだろう。あれは、わたしの意に反して親がとても気に入っていたから。
携帯は解約すべきだろうが、何をするにも便利なこの利器を使えない時間は、なるべく短くしたい。それに、毎日プレイしているアプリゲームのイベントが今日までなのだ。出来る限り遊び尽してから、夜に解約しよう。パソコンも同様だ。最後の最後に破壊しよう。データ抹消ができるフリーのソフトが無いか、調べる必要がありそうだ。
人との約束はない。借りっぱなしのDVDも無い。手帳はスッキリしている。
さて……一番の問題は、自殺の方法だ。
他人様に迷惑を掛けたくはないが、一切迷惑を掛けない自殺方法など無いだろう。まず、場所について。このアパートはダメだ。わたしの死後、この部屋が事故物件になってしまう。線路への飛び込みは以ての外だ。人身事故は大勢の予定を狂わせるし、遺族に多額の費用が請求されると聞いたことがある。そもそも人前では、誰かにトラウマを植え付けてしまいかねない。
条件①誰も居ない場所であること
条件②発見が割と容易な場所であること
条件③できる限り景観の美しい場所であること
この条件を満たすとなると所謂“自殺の名所”が思い浮かぶが、いくら死ぬ為といっても、とても行きたいとは思えない。普通の人間に遭遇する可能性は低いかもしれないが、普通ではない人間に出会ってしまう可能性が高そうだからだ。(自分を棚に上げるようだが、わたしは至極普通で、まともなのだ)
同じ自殺志願者に遭遇してしまうことは気まずいし、最後だからと乱暴をされるかもしれない。危険だ。そして勿論、既に息絶えた人間の腐敗した抜け殻に遭遇するのも嫌である。
となると、自殺の名所は候補から外れる。次に思い当たったのは近所の桜並木だった。
あの場所ならば、夜は殆ど人が通らない。桜はちょうど見頃を迎えていたが、道幅がやけに狭いため花見客が深夜まで騒いでいることもないだろう。そして恐らく朝一で訪れるのは、犬の散歩に来る近所の老人か、自転車置き場の管理人だ。彼らを驚かせてしまうのは申し訳ないが、子供が第一発見者になって長い人生にトラウマを抱え続けるよりは良いだろう。
人気の無さも景観も申し分ない。アクセスも良好。徒歩で行ける距離の為、電車の時間を気にしなくていいところも、安心だ。
さて、これで場所は決まった。後は自殺の方法だ。
自殺の方法には、何があるだろうか。
首吊り・飛び込み・失血死・入水。
できるだけ楽で、死体が綺麗に残るものが良い。そして、失敗した時に後遺症などが残ってしまわないように、確実に死ねるものでなければならない。
銃で頭を撃ち抜くことが出来れば一瞬で片が付き、また発見もされやすいだろう。しかし銃を手に入れること自体が、この国では難しい。そこで、よりわたしの希望に沿う自殺方法をネットで調べてみると……ヘリウムガス自殺が中々良さそうだった。
方法は、頭に被った袋にヘリウムガスを詰めて窒息状態にする、というものだ。大量の睡眠薬や劇薬はそうそう手に入らないが、ヘリウムガスは風船を膨らませる用のもので良いらしい。それなら通販でも簡単に手に入るだろう。午前中に注文すれば夜に届く、当日配達のサービスもある。予定通り本日中の決行が可能だ。
また睡眠薬などの方法と違って未遂の確率が低く、昏睡状態で死ぬことが出来るため、上手く行けば苦痛もない。ヘリウムガス自体は無害なため、硫化水素や一酸化炭素を用いた自殺のように、発見者や救助者に害を成すこともない。
バルーン用品専門の通販サイトを見ると、400L入りを5,000円程度で見つけることが出来た。送料込みなところが嬉しい。後は、袋にガスを注入するビニールチューブが必要だが、これはホームセンターで入手可能だ。
わたしは脳内で“その時”のシミュレーションをする。
木の幹に背を預けて袋を被る。チューブでガスを注入する袋には、あらかじめ桜の花びらを詰めておこう。そして朦朧とする意識の中、最後の力を振り絞って袋を破くのだ。
淡い月明かりの下。花びらに包まれて、夜桜に見守られ、死にゆく――中々に、美しい死に方ではないだろうか。
時計を見ると、時刻は……
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