冷たい女神たち<アグネス編> file-NO.2

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アグネスは二人が出逢ったばかりの日のことを、思い返した。 それは、夏のある午後だった。――金色の髪をくしゃくしゃに歪めた彼は、うつむいていた。大きくて細い胸板を上下させて、シャツを湿らせていた。その呼吸音は、はっ、はっ、と階段に響いていた。それは、彼の甥っ子が、遠くの州に引っ越すことになった日だった。彼は螺旋階段の地下で、雄の子ウサギみたいに、黙ってうつむき前髪を震わせていたのだった。 町の総取り野郎(winner-takes)と呼ばれていた裏稼業の元締め、ミスター・セロン一家の引っ越しの手伝いに駆り出されていたアグネスは、その家屋の地下室で、彼が独り震えている姿を見た。入れ墨まみれの彼の腕は青ざめ、莫迦みたいに無実の人間どもを撃ち殺してきた彼の胸は、ほんの一瞬だけ、正気に返っていた。 アグネスは、窓から落ちる光の下で、そっと彼に近づいた。そしてその歪んでボロボロになったタイを、正確に元の位置に戻してやった。すると、男は、驚いたように見つめてきた。 302ab9e7-0e62-47e2-a869-ffabd674311d その目の中にあった狂気(クレイジー・バズ)が消え、彼は心の底をうたれたように、そして『たゆたう永遠の湖面』を見つけたかのように、ただアグネスを眺めた。ただ茫然と、森林の奥に生息する小鳥みたいな色に眼を染め、眺めていた。 ――けれど今、アグネスにとっては、その男が生きていようが死んでいようが、”どっちでもいい”。 ”だって、彼が愛していると言ったあの日のことは、本当だから”
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