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隆之のベッドに腰を掛け、正面から顔を見た。
手のなかのスマホに向けていた顔を、少しだけあげた。その表情が、驚きとともになぜか恐怖を含んでいるような気がして、梨花が怯んだ。
恐怖は伝染する。間違ったほうのボタンを押してしまったかもしれない。でも、もう戻れない。
「なに……」
「あ、あの……、航も2歳になったでしょ」
「ああ。だから、なに……」
「もう……、夜中にぐずることも、ほとんどなくなったし……」
「だから……? あ、ええ? お前」
そう言うと隆之は、くくっ、と含み笑いを洩らした。「お前、俺としたいのか」
「え……」
「やめろよ、気持ち悪い」
「え…………、わたし……」
「なに。わたしまだ女なのよ、っていうやつか。お前、えっと、35か。まあ、世間的には女かもな。でも、俺的には、どうかな」
「そう……。そう……なんだ……。でも、わたし……、わたしは……」
「なんだよ」
「あの……、でも、わたし……」
「だから、なに」
「わたしは……、わたしは、あなたのことを、まだ、すてきな人……って思ってて……、だから……」
隆之の表情が一瞬、無になった。
嗜虐的な眼の光が消え、不意打ちを喰らったように瞠かれる。そう、鳩が豆鉄砲。
あ、いけない。わたしが間違ったから。返答が噛み合っていなかったんだ。何をどう応えればよかったのか。
それも数秒のことだった。隆之の顔はすぐにもとに戻って、少し下から梨花をねめつけてくる。
「はっ、それは光栄」
芝居の台詞のようにそう言うと、またスマホに目を落とした。
立ちあがって自分のベッドに行かなければと思った。早く動こうと焦っているのに、足に力が入らない。隆之から見ると、いらいらするほどゆっくりした動作だったことだろう。
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