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ようやく数十センチしか離れていないベッドにたどり着き、上掛けをめくる。
「なあ」
背中から声がかかる。揶揄するような、思いやりのカケラも感じられない、軽い軽い声。
振り返りたくないのに、機械仕掛けのように首をまわしてしまう。
「お前さ、飢えてんの?」
口元がいやらしく歪んでいる。
見たくないものを見せつけられているような嫌悪感に襲われた。なのに顔を背けられない。じっと見入ってしまう。
この人、こんなにバカだったかしら。高校時代のクラスメートの男の子たちの顔が蘇った。数人でわちゃわちゃしている時に、こんな顔をしている子がいた。
思考停止状態のまま隆之の顔をぼんやりと眺めていると、また、ふっ、と下卑た笑いを放ち、「電気、消して」と、天井を指差した。「明日、ゴルフだから、早い」
布団をかぶって背中を向けた。
梨花もベッドに入ったが、当然ながら眠れるはずもない。
この数分間に起こったことを人生から抹殺しようとした。
だが、そうすればするほど、今聞いた言葉が脳内に反響する。
俺としたいのか。気持ち悪い。まだ女なのよってやつ。飢えてんの。
ぎゅっと目を閉じると、隆之の、鼻のつけ根にシワを寄せて人を見下す笑いが瞼の裏に浮かんだ。
何も考えられなかった。パニックに陥っていたのだと思う。脳に血流が届いていない。
棺に寝かされたようにじっと横たわっていたのは1時間ほどだっただろうか。隣のベッドには寝息を立てる肉体がある。それが発する存在感のせいで窒息するのではないかと怖くなった。
ダメだ、このままでは絶対に寝られない。
梨花の頭のなかには、眠る、ということしかなかった。
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