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一年前:11月7日(日)
朝からなんとなく家のなかがあわただしい。せっかく久しぶりのなんの予定もない休日だというのに、と隆之はいらだちを抱えてベッドから起きあがった。
11月3日の祝日にコンペがあったから、今週末はゴルフは入っていない。連絡を取ってみて、家にいるようなら午後から雪絵のところに行こうと目論んでいた。
リビングダイニングに出ていくと、蘭がダイニングチェアで梨花に髪を結ってもらっていた。顔の横の髪をうしろに梳かし、ゴムでまとめている。
「おはよう」
「あら、もう起きたの。今日は蘭のピアノの発表会だから、お昼は適当にお願いするわね」
「ああ……。発表会か」
「言ったんだけど」
「いつ」
「先週」
「そうだっけ」
「やっぱりね」
忘れてもいいことは最初から覚えない主義でね、と心のなかだけで言って舌を出す。
見ると、蘭はしゃれたワンピース姿だ。スカート部分が深いグリーンのタータンチェックになっている。
「ステージ衣装か?」
「違うわよ。会場で着替えるの」
「へえ、俺も観に行こうかな」
「来ないで」
蘭がまっすぐ前を見たまま言った。
「ええ、どうして。パパが聴きに来て、嬉しくないのか」
「嬉しくない」
「なんでだよお。あ、そうだ、今日の発表会を聴いて、それで本物のピアノを買うかどうか決めよう。パパがチェックする。買うのはパパだからな」
今は子ども部屋に電子ピアノを置いている。蘭がベートーベンかモーツァルトを弾けるようになったら『本物の』ピアノ、つまりアップライトピアノを買ってやると約束していた。
「いらない」
「おい、蘭が欲しがってたんじゃないか。本物のピアノだぞ。俺だってピアノのうまいへたくらいは、ちょーっと聴けばわかるんだから。こう見えて小学校の頃の音楽の成績はよかっ……」
「だから、いらない」
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