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「パパは航ちゃんとこ、いって。蘭たちはつまんないんでしょ」
蘭の視線を追うと、リビングのソファにちんまりと座り、口を半開きにしてテレビアニメの世界にどっぷりと浸っている航がいた。
間抜け面だな、と思いつつ、スマートフォンを手に、横に腰を降ろした。
「あなた、航を見ててね。わたし、自分の準備するから。あ、蘭、リボンは会場に行ってからつけようね。1回だけ、うちで練習して、それから楽譜、ちゃんとお稽古バッグに入れて。すぐに出かけられるようにしておいてね」
梨花が洗面所に向かう。その背中に「航はどうするんだ」と訊いた。
「お母さんと会場で待ち合わせしてる」
横浜から梨花の母親が来るらしい。
困ったんだろうなと思った。日帰りできる距離に住んでいるのに、梨花はよほどのことがないかぎり実母を頼らない。相容れないわだかまりがあるようだが、それがどういうものかは聞いていない。聞きたいとも思わない。家族の面倒ごとは知らないほうがいい。巻き込まれないようにするのが最善の策だと考えている。
隆之も梨花の母、吉村碧は少々苦手だ。航が生まれる少し前に還暦の祝いだといって親族が集まっていたようだが、その年齢には見えない洗練された雰囲気をまとった女性だ。ところがその外見に似合わず、時折したり顔で『昭和』の権化のようなことを口にする。いや、昭和よりずっと以前、明治時代の価値観かもしれない。
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