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結婚前後の時期には「男の人は、ほら、いろいろあるから」などと微妙な目くばせとともに言われて、これは皮肉られているのかと勘ぐったこともあったが、次第にそれが碧の絶対的正義なのだと理解するようになった。男社会の『濁』の部分も併せ呑んだ、理解ある女性のつもりなのだろう。ありがたいことではあるが、奇妙な居心地の悪さを感じる。なぜそんな気持ちになるのかは深く考えたことはない。ただ、梨花の母親との確執も、おそらくはそのあたりが源になっているのではないかとは思っている。
アニメがコマーシャルに入ったようで、航が隣に座る隆之の顔をじっと見あげた。
「お前、おとなしくピアノ聴いてられんのか」
スマホに半分顔を向けたまま言ってみた。当然、返事があるとは期待していなかったが、航が固まっているのは目の隅に入っていた。
おい、と言いながら目を合わせると、航の口がみるみる歪みはじめた。
「泣くなよ」と小声で言ったが、通じるわけもない。
「マーマーあ」と叫ぶと、転げ落ちるようにソファを降り、洗面所へと駆けていった。
ため息しか出ない。
しばらく泣き声となだめる言葉が聞こえていたが、やがて梨花が航を抱きかかえて出てきた。
「見てて、って言ったじゃない」
「見てたさ、ちゃんと」
目はもちろん、今もスマホに向いたままだ。
「昔聞いた、インドだかインドネシアだかの話を思い出したわ」
「なにを」
「製造業で現地に駐在してた人が言ってた。工場でトラブルがあったから、現地スタッフに様子を見てこいって行かせたら、見てたんですって、夕方までずっと。電話一本入れずに」
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