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その日、隆之が狭いベッドの上で心地良い倦怠感に身を委ねている時だった。唐突に思い出した。
自分がいつ、『女の子はつまらない』と蘭に言ったのか。
2年ほど前、隆之の従兄弟の結婚式が東京で行われ、蘭にリング・ガールというものをしてほしいという依頼が来た。子どもがバージンロードを歩いて新郎新婦に結婚指輪を届けるという演出らしい。
当時、梨花は航を妊娠中で体調が思わしくなく、隆之が蘭とふたりで参加することになった。ホテル内のチャペルでの大役を無事終えた蘭と、その後、同じホテルの宴会場で行われた披露宴に出席した。
4歳だった蘭はおとなしく座っていたし、叔母たちも相手になってくれていたが、宴の後半はずっと退屈しているのが明らかだった。隆之自身もこういう親戚づきあいはあまり得意ではない。蘭を口実に、早めに帰宅することにした。叔母と従兄弟に断りを入れ、タクシーに乗った。
そこで言ったのだ。「女の子なんて、つまらないな」と。
式と披露宴のあいだ何度も涙を拭う新婦の両親の姿が記憶に残っていたからかもしれない。喜色満面の新郎である従兄弟に比べ、ふとした時に新婦が見せる寂しそうな表情に気づいたからかもしれない。酒もかなり入っていた。隆之は知らぬ間に自分を新婦の父親の立場に置いていた。長い時間をかけて育ててきても、こうやって持っていかれてしまう、もらわれていってしまう。奪われる。盗られる。そんな単語が頭のなかに浮かんだ。おむつを何度か替えたことこそあるが、寝かしつけも、急な発熱の対応も一度もしてこなかったというのに、その時はただ、自分の所有物を見ず知らずの他人が持ち去ることの理不尽さに腹を立てていた。
早く忘れてくれるといいと思った。
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