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11月5日(土) 東京
「なあ、あれ、あれ今年はどうなったんだ」
隆之が長崎に単身赴任して二度めの帰京。今回は木曜日が祝日だったので、金曜日に有給を取り、こちらで3泊して、明日、日曜日の午後の便で戻る。
先月の1回めの帰宅時と同じ位置。隆之はソファで薄めのハイボール、梨花はダイニングテーブルで、大きな氷が溶けるとともに薄くなっていく梅酒をちびちび飲んでいた。
「あれ……? あれって、なに」
「蘭のピアノだよ。発表会。去年の今頃だったんじゃないか」
「ああ、あれね」
梨花の声が沈んだせいだろう、隆之がダイニングのほうへ首をまわす。
「ないのか」
「ううん、あるわよ、発表会は。来週、かな。蘭は出ないけど」
「なんで」
うん、と梨花が手元に目を落とした。「レッスン、お休みしたことが多かったでしょ。わたしが付き添えなくて。あの子も、おさらいがあんまりできてないからレッスン行きたくないって言うこともあったし」
「あ、ああ……、そうか。あ、でも、まだ先生のところには通ってるんだな」
「うん、それは……ね。発表会もね、先生は出てもいいって言ってくれたんだけど、蘭がね、出ないって。自信ないから、出たくないって」
「自信がない……?」
「あの子ね、ずけずけ言うようで、意外と繊細で慎重なとこ、あるのよ。誰に似たんだか……。でもあなた、どうしたの。なんで急に蘭のピアノのこと……。あ、少しは興味持ってくれた、子どもたちに?」
隆之が居心地悪そうに、ベランダ側に置いたサイドテーブルのグラスを持ちあげた。
ぼちぼちローテーブルを置いても大丈夫かなと、梨花は考える。航が家具にぶつかる回数も減ってきた。そしてすぐに考え直す。今、新しい家具を買うのはやめておいたほうがいい。
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